昭和の精神史 (講談社学術文庫 (696))
1955=昭和30年発表の『昭和の精神史』と、1948=昭和23年発表の『手帖』を併せた1冊。
若人にはニーチェやトーマス・マンの訳者、或いは『ビルマの竪琴』の作者としか認知されていないように思える作者も、一昔前は保守派の論客として読まれていた。本書の『昭和の精神史』も、戦争を生きた一人の「知識人」が、自身の経験と具体的に把握できる事実から出発して、
戦前の超国家主義なるものの正体を考えてゆく。
彼が重視するのは、青年将校の動向であり、彼らが基本的に救国の熱意から動いていたことを中心に描いてゆく。これは昭和30年という時代なのでろうが、作者は明瞭にマルクス主義的な歴史観(彼の言葉を引用すれば「階級機械論」)を否定し、時代の潮流の中で財閥や組織の力学に翻弄される青年将校をやや感傷的に考えてゆく。
論考というよりもエッセイといった面持ちなのだが、時折鋭い指摘もあり(たとえば独伊はファシズムが先行し、戦争はその運動に依拠しているが、日本ファシズムは戦争の合理化・正当化として後から要請されたなど)、中々侮ることができない。
併録の『手帖』は戦時を回想したものであり、重苦しさと沈滞した雰囲気に終始した筆はそこそこ読ませるが、あくまで付録といった程度のものである。
ビルマの竪琴 (新潮文庫)
週末の旅先の本屋さんでたまたま目にとまり、買ってしまいました。
学生時代に見た中井貴一さん主演の映画の記憶がかすかに残っていたのですが、ほとんどストーリーを覚えておらず、もう一度どのようなストーリーだったのかということを思い出したかったという理由もありました。
著者は竹山 道雄氏。
この本は太平洋戦争後、すぐに執筆されたものです。私の読んだ本は新潮文庫より昭和34年4月15日に初版されています。もともと児童文学のために依頼されて書きだしたものだということですが、私はあとがきに書かれたその内容を読むまでは、実話だと思い、一言で言えば、ただただ感動してしまいました。
舞台は今のミャンマー。
連合軍に追いやられた小隊が捕虜になってしまいますが、他でも終戦を知らず、抵抗している部隊があり、その説得のために主人公の水島が一人で向かいます。その後、この部隊は最終的に降参するものの、水島は傷つき、人食い人種に手厚く介抱され、その後、お坊さんの格好をして、自分の小隊が収容されている捕虜の施設に向かいます。
その道中、無残にもなくなった日本人兵の亡骸に出会います。またビルマの人たちが国籍問わず、亡くなった人たちを供養している場面に出くわし、ただただ日本に帰りたいと考えていた自分の一人勝手な行動に疑問を抱き、最終的には本当に出家し、ビルマの各地でなくなった亡骸を拾っては供養するという人生を歩もうと決意します。
児童文学として書かれたという意味ではかなり深い意味を持つ本だと思いますが、人生の究極の意味を探し求めて、その疑問を投げかれられてしまった本だと思いました。
こういう戦争に関連する本を読むともちろん想像の範囲内でしか私達の世代はわからないわけですが、本当に今日本があるのはこういう時代をくぐり抜けて努力してきた人たちがいたからなんだなと感謝の念が絶えません。
絶望せずに前を向いて頑張ること、それを教えられたような気がしました。
本当にお勧めの一冊です。
ビルマの竪琴 [DVD]
監督自身によるリメイク版。監督が旧版の出来に100%満足していなかったからこそ、リメイクしたのだが、終戦から経過した時間の長さの違い故か、旧版の映像はひりつくような生々しさがあったのに対し、本作の映像は確かに撮影機材等の進歩で美しくなったが、全体にまるくなったような印象を受ける。
とはいえ、両作ともに兵士の歌声が清らかでいつまでも耳に残る。映画全体の中で音楽が支えている割合は本作の方が大きいだろう。日本人の心の琴線に触れる唱歌の力を強く感じる映画だ。
このリメイク版に感動した人は是非旧版も観て下さい。
ビルマの竪琴 [DVD]
埴生の宿(原曲は英国の歌)で連合軍の歌に囲まれて、結果終戦を知る村でのシーンは映画的な迫力のある素晴らしい輝きがあると思います。それは、日本軍の連隊がある歌を歌いながら火薬を取りに行くのですがそのとき緊張をほぐすためにつま弾くビルマの竪琴、その音色まさに素晴らしいシーンです。さらに連合軍の歌に呼応して竪琴を演奏することは音楽は万国共通の原語(特にこのときは連合軍の中でも英国と日本の共通の歌)ということをうまく表現していると思います。
この表現はのちに仲間と居てもたっても居られずに金網越しに再会するときのお別れの言葉なしに竪琴を引くだけで語るシーンにもつながります。本題の「名もない兵士の魂の鎮魂」は言葉でも映像でも表現できない経験したことのある人間にしかわからない厳しい現実でしょう。ですから水島上等兵の選択を我々も深く心に刻み込まなければならないと思います。ある兵士がいうところの「では水島上等兵の家族はどうなるのか?」永遠のテーマだと思います。この作品は同じ監督で2回作られているので、俳優のリアリズムの比較ができて面白い映画だと思う。当然、この物語を演ずる俳優はこの映画の時代の俳優の方が戦争を経験している人たちが多い分、上です。私の中ではこの映画は戦争映画のベスト3に入る映画です。お勧めというより観なければならない映画の1つだと認識しております
ビルマの竪琴 (偕成社文庫 (3021))
予備知識なしに本作を読み始めた場合、おそらく読者の多くは、これは本当に起こったことなんだろうかと考えあぐねるのでは思います。私もそのような読者の一人でした。戦争中の極限状態では何が起こってもおかしくないとも言われますが、それにしても、こんなことが起こりえるんだろうか、という疑問が浮かびました。しかし、本書に収められている著者自身による解説文(「ビルマの竪琴ができるまで」)を読んで疑問が氷解しました。本作はフィクションであるとのことです。このような解説文を執筆・掲載したことについて、著者の竹山氏と出版社の高い見識に敬意を表したいと思います。もし、この解説文がなかったら、もやもやした読後感が残ったのではと思うからです。
さて、『ビルマの竪琴』には様々な読み方があるかと思いますが、私は、戦争の愚かさと戦没者の追悼をテーマにした作品だと感じました。このように簡単に言ってしまうと、ありきたりな話に聞こえるかもしれませんが、本作は、著者の竹山氏がたくさんの教え子の死に接してきただけあって、胸に迫ってくるものがあります。
小説そのものについては、正直申して、やや美しくまとめすぎかなという気がしました。しかし、その点は、本書のテーマから見て、枝葉末節と考えるべきなのでしょう。大人も子どもも、一度は読んでおきたい作品だと思いました。
なお、本書には、本編と「ビルマの竪琴ができるまで」の他、著者による簡単な「あとがき」と中村光夫氏による「解説」、平川祐弘氏による「『ビルマの竪琴』余聞」が収められています。これらも併せて読むと、いっそう理解が深まると思いました。