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まるで熱いトタン屋根の上の猫のようにおのれの性欲を向こう三軒両隣に発散しているエリザベス・テイラーは耀くように美しい。
 猫どころか荒野を疾走するピューマのように自分の欲望をまっしぐらに貫こうとする動物的生命の燃焼と躍動の光波は、人生に拗ねているポール・ニューマンのみならず見る者すべてを圧倒する。
 
 これとは対照的に、親友を自殺に追いやったのは自分だと自責の念に駆られ、自棄自暴に陥りアルコール漬けの退嬰的な生活を送っているホッモセクシュアルのポール・ニューマンの悲惨な姿は映画とはいえ真に迫っている。
 
 そして死病の告知を受けながらもそんな息子と正面から向き合い、彼の複雑に入り組んだ精神の暗闇にともに侵入してついにコンプレックスを紐解き、父親としての責務を果たそうとするバール・アイヴスの熱演は、「大いなる西部」で名演技をしのいで素晴らしい。
 
 最後の終わりよければすべてよしというハッピーエンドは強引にとってつけた感があるが、それでもテネシー・ウイリアムズ原作のこの映画は、一匹の熱いトタン屋根の雌猫が、恋する雄猫の同性愛をほんの一瞬でも異性愛に転換させ、彼女の思惑通りに晴れてベッドインするという大人の幸福な寓話たりえて見事である。
 
 
 
 
   
ポール・ニューマンとエリザベス・テーラーの共演。意外にも家族の繋がりを描いた作品です。
 
 
   
この小説のテーマはまさに「資本主義」。欲望という名前の電車に乗って、もとは南部のお嬢様だった彼女は
 ニューオーリンズの妹を頼り出かけていく。
 大きな屋敷は抵当に入り、身を売って生活していた彼女だが
 プライドのみが高く、誰からも受け入れられることもない。
 見た目だけ着飾り、中身は愛情を求めてただ飢えている女。
 そして、その妹ステラはポーランド出身のスタンリーと、かつての生活ではないものの幸せな生活を生きている。
 対照的な二人、そして生きることに向いているのはステラ。
 ブランチは最後精神をやんでしまう
 つまり彼女は「負け組」なのだ。
 この作品はかなり昔の作品であるにも関わらず、
 なぜか今の現代社会を露呈している作品だ。
 蜷川幸雄演出で大竹しのぶがブランチを演じ、
 映画ではあのビビアン・リーがブランチを演じている。
 欲望とは何か。買うことなど決してできることのない愛情を、お金で買うことなのか?
 人間の本質を問う傑作だと思う。
 
 
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