古代エジプトのツタンカーメンや中国の兵馬俑、イタリアのボンベイ、マヤ文明など歴史上のワンシーンを立体的な仕掛けで見せてくれています。
小学生の娘は、こういった仕掛けで歴史を見せてくれたことについては興味を持っていました。単に立体的なだけでなく、弓が引けたり、パンが焼ける様子などのちょっとした遊びの仕掛けがあるので、楽しみながら読むことが出来たようです。
個人的には、事例と説明がもう少し充実していた方が良い気はしましたが、子どもが楽しめたので「良し」というところでしょうか。
今年の新年に初めて北京へ行った。北京の北に在る万里の長城の一角を見た時は本当に腰を抜かした。その構想力の大きさには、ボーッと飽きずに眺める事しか出来なかった。欧州・北米大陸でも驚く事はあったが、これほどの事は無かった。中国とは一体どんな国だったのであろうかと色々思い巡らしても、自分の知識の中には、残念ながらこの体験を具体的なイメージを作ったり、言葉にする材料がない事に気がついた。伝わって来る様々な中国情報がこの時から異様に自分にとって居心地の悪いものに感じてきた。春に機会があって、西安へ行き兵馬博物館を見た。此処でも腰が抜けた。早速帰国して読んだのがこの本であった。まさに中国皇帝が即位と共に自分の陵園を造り始めてきた伝統の中で、秦の公王は前247年に即位し、前221年に始皇帝となり前210年崩御、前206年秦帝国滅亡とその間40年余りの間に行った事が、この本の中には大きな構想を掴まえて記述されている。始皇帝陵から窺い知る事のできる歴史的空間的ヴィジョンの巨大さは一体何なのかと考えてしまう。我々が今知る事が出来る兵馬は始皇帝陵園の内の、悲しい位、ほんの一部である。兵馬が造られてほんの50年後に造られ始めた景帝陽陵とはどのように違うかを知れば、又兵馬のこれから何が飛び出して来るか解らない凄さもはっきりと読み取る事が出来る。この時代が、その後のこの国の2000年の歴史を作ってきたことも革めて考えてみたい。毛沢東の中国は、新しい社会システムを作り上げてきたと言う意味に於いて、秦の始皇帝以来の事ではないかと感じている。
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