初舞台・彼岸花 里見トン作品選 (講談社文芸文庫)
里見という名を始めて知ったのは小津安二郎の映画の原作者としてその読みにくい名前をクレジットに連ねていたからですが、小津の「彼岸花」の原作を読んでやろうと思って買ってみたら、最初はこの上なく読み難く感じ、しかし何度も何度も繰り返し読むうちに段々面白味が分かりかけた所へ、鶴井俊輔氏の「白樺で戦争協力しなかったのは里見と柳宗悦だけなんだ」という証言を「戦争が遺したもの」という本で読んで、更に好感を持つようになって読んでみると、鶴見氏の言う白樺の始まりの動機である「権威への反発」という要素が、「みごとな醜聞」に良く表れているのが感じられ、それが形を変えて「彼岸花」にまでつながっているのを読むと、小津安二郎の映画の世界も、ただ老境に達した「白樺派的な趣味と余裕の世界」とばかりは見えなくなってくるから面白いものです。「銀次郎の片腕」は、ロシアの文学に影響を受けたと巻末の解説にありますが、私は現代スコットランドの作家ウェルシュの短編「幸福はいつも隠れてる」を思い出しました。
恋ごころ 里見トン短篇集 (講談社文芸文庫)
小津安二郎が里見'クを崇拝し、映画を作る上でかなりの影響を受けたということを知り、読んでみました。
結果、中・上流階級を描いた作品は、本当に小津映画のように思えてきました。『縁談窶』はまさにそうで、「縁談」というモチーフや鎌倉という舞台、会話のやりとりなど、まるで小津映画を観ているようでした。これは里見'ク作品の読み方としては正しいのかどうかわかりませんが、正しい正しくないはどうでもいいかな、と思います。とにかく面白かったです。
また、プチブルとは打って変わって花柳界を描いた作品もとても面白く、ここに収められているものでは『大火』が特に良かったです。短い作品ですが、吉原の大火で混乱した花魁や客たちが、活き活きと、少しコミカルに描かれています。
どの作品にも共通しているのは、会話の面白さと、読み終えたあとに、心地良いような、じーんとくるような、決して激しいものではないのですが、何か静かな感動を余韻として残してくれることです。
荊棘の冠 (講談社文芸文庫)
里見の作として、それほど優れたものではない。当時、ヴァイオリンの天才少女と騒がれた諏訪根自子が、母とともに父のところから家出した事件があり、それをモデルにして描いたものである。真ん中部分で登場する作家は、中戸川吉二がモデルと言われている。なんで「羽左衛門伝説」を文庫にしないのだろうか。
里見〓(とん)伝―「馬鹿正直」の人生
鎌倉見物の折、ふとここが里見とん邸だったなどと人がささやいていたことを思い出しました。
里見の名前は、「とん」という音の珍しさもあって知っていましたが、実際の作品を読んだ人は少ないでしょう。
だが、それにしても、評伝がほとんどなかったとは!
新潮文学アルバムとか、日本近代文学全集などに入っているものとばかり思っていました。
そんな、やや忘れられつつある名人芸の作家を詳細に浮かび上がらせ、いきなり再評価の俎上にあげた力作。
晩年のところまではしょらずに淡々と綴り、はじめは凡長かと思っていたら、おもしろくてぐいぐい引き込まれ、結局一気に読了となりました。
志賀直哉神話のようなものに疑問を投げかけたり、文学畑以外の人間でもたのしく読めて、とても刺激的!でした。
泉鏡花、志賀直哉、谷崎、小村雪岱、木村荘八、小津安二郎、笠智衆…多士済々の登場人物のインデックス、文献なども充実し、学問書としても抜群の完成度で、しかも面白い。
こんな労作をどのくらいの期間で準備して書き上げたのか、筆者を質問攻めにしたくなりましたが、あまり書評等で紹介されなかったのが残念です。
絵描きだと、金山平三とかまあ木村荘八でもいいけれど、絵はこんなにいいのに埋もれていってしまう!という人みたいな作家でしょう。
里見、そしてこの労作をてがけた小谷野の、二人の「トン」氏のお仕事に、深く感じ入りました。
トン先生、こんなに愛されてよかったですね。今まで待った甲斐がありましたね。
文章の話 (岩波文庫)
実生活の中で培われた強靭な思想が、ひるむことなく、親しみやすい語りかけ口調で綴られている。この思想はほんとに読みごたえがあり、もとは子供向けに書かれた本だが多分当時の読者がおとなになって読み返したとしたら泣いてしまうのではないか。論より証拠、引用するのでご自分の目で確かめてください。
「古今東西、どこをどう探したって、君って人は、決してもう一人とはいないんだ。君ばかりではない、A君、B君、C君、・・・僕もそうだが、みんなひとり残らず、歴史にもなければ、世界のどこに行ってみても、決して出てくる気遣いのない、たった一人の人物なんだよ。よく、東郷元帥は世界的の武人だとか、野口英世博士は世界的の学者だとか言うが、それは、世界的に名が聞こえている、というだけの意味じゃない、もしそういう人たちに死なれたら、世界中探しても、他にもうあれほどの武人はいない、あれほどの学者はいない、つまり、死んだが最後、もう絶対にかけがえのない、取り返しのつかない、立派な宝物だ。国宝と言うが、それ以上、世界宝なんだ、という意味も含まれているんだぜ。しかし、良く考えてみたまい、僕らだって、その点、ちっとも変わりはないんだ。そうじゃないか、君が死んだあとに、君がいるかい?僕が死んでしまったら、もう決して僕はいないんだ。そういうわけで、人間は、ひとりのこらず『世界的』以上、『古今東西的』な存在なんだよ、一人一人が、絶対にかけがえのない宝物なんだ」。