山形 方言かるた
山形に転居して来て2年半、未だに分からない言葉がたくさんある中で、この方言カルタの発売。
いの一番に購入し、毎日特訓、でもまだまだです。
特にお年寄りのアクセントが全く分からなく、文字だけではニュアンスが伝わってこず、苦慮している毎日です。
しかし独特の山形方言には温かみを実感しております。
今、蘇る国鉄~音の旅~II
第1集が、所謂、東京、大阪を中心とする幹線筋であったのに対し、第2集はローカル幹線です。
わたしが、なんとなく田舎臭いなと言いましたら、家内はこの方が旅情あふれると言いました。
確かにそうかもしれません。
昭和40年代の懐かしい国鉄の放送を集めたCDは、もう出ないかもしれません。
第1集同様、鉄道ファンなら手元に置いておきたいCDです。
親鸞再考―僧にあらず、俗にあらず (NHKブックス)
親鸞伝研究は、赤松俊秀氏以来、停滞していた。それに対して、新たな史料を駆使して新たな親鸞像を描こうとする
試みはすばらしい。推理小説を読むように謎が解き明かされ感動を覚える。五木寛之の親鸞と読み比べると親鸞の実像がよくわかるであろう。
〈COLEZO!〉赤ちゃんの子守歌ベスト
かわいいジャケットに惹かれて
娘が生後1ヶ月になるころ購入したのですが、
なぜ泣いているのかわからない時、
なかなか寝ない時にこのCDをかけてゆらゆら抱っこすると
不思議なくらいコロッと寝てくれます!!
まだ購入して1ヶ月ちょっとですが本当に大活躍☆
「赤ちゃんの子守歌」というタイトルですが
モチロン大人が聴いても落ち着くメロディー・選曲で、
これを聴きながら娘の隣でパパもよく爆睡しています(笑)
妊娠中から胎教に買っておけばよかったなぁ〜。
山県有朋と明治国家 (NHKブックス No.1170)
山県有朋は、どちらかというと伊藤博文、大隈重信、原敬などとは対照的に、「統帥権の独立」等の問題と相俟って、日本近代史では頗る評判の悪い、“敵役”に近い才物ではなかろうか。確かに、『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者であるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏も「小沢排除=抹殺」の論理を「明治」の政治システムにまで遡及しているが、その象徴的中心的な人物として山県の名を挙げている。他方、ウォルフレン氏は「19世紀の終わりからから20世紀にかけて、近代国家日本を形成することにかけてだれよりも大きな役割を果たしたという意味で、20世紀という時代を構築した最大の政治家のひとりに数えられるのではないか」として、「ドイツのビスマルク、ロシアのレーニンに比肩し得る政治家」(前掲書pp.51~52)とも評している。
山県は吉田松陰に学び、高杉晋作の奇兵隊を経て、維新後の「明治日本」の建設に知略を尽くして突き進んでいった。そのプロセスの中で、前述の「統帥権(=参謀本部)」の独立や「軍人勅諭」の発布、「軍部大臣現役武官制」の制度化や「文官任用令」の改正などに関わっている。ここで、特に重要なのは、戦後日本の政治システムにも影響を与えている「非選出勢力」の頂点に立っていたのが山県であったことだ。すなわち、「近代の国家においては、政党が社会と国家を媒介する」わけだけれど、「近代の日本においては、選挙を経ずに政治的影響力をもつ勢力が存在していた」。この「非選出勢力」は、薩長等の藩閥、軍部、官僚、貴族院などを指しているが(本書pp.107~108)、その一部が第二次世界大戦後も山県のガイストを引きずってきた。
戦後、軍部は解体され、華族制度は廃絶されたが、上述のウォルフレン氏の論脈でいえば、「非公式の権力」たる「霞ヶ関」の官僚体制は、姿、形を変えながらも、「国体」をアメリカに替えつつ、しぶとく生き残った。謂わば、明治以降における「非選出勢力」の残滓である。だからこそ、小沢一郎さんは“民意”と無関係でありながら、国家経営=政策決定に容喙する「非選出勢力」=「非公式権力」と闘っているのである。そして、残存非選出勢力=非公式権力の片棒を担いでいるのが五大紙に代表されるマスコミであり、ワイドショーなどで口汚く小沢さんを罵る電波芸人どもなのだ。さらに、そうした残存非選出勢力と手を結んでいるのが、最近政権中枢に復帰?した仙谷由人らだろう。山県有朋をみると、現代日本の宿病が自ずと浮かび上がってくる。