ALLDAYS 二丁目の朝日 [DVD]
賛否両論分かれる作品だが、辛口意見が集中するのは概ね作品全体に漂う安っぽさであるようだ。そもそもアカラサマに「三丁目の夕日」を意識した作品であるにもかかわらず、見るからにチープな映像にチープな脇役というのでは単なるパロディや便乗作品というそしりを受けても仕方がない。
昔劇場公開からまもなく発売され、似たような題名に思わず買って騙されたニセモノビデオを思い出してしまう。
例えば、時折挟まれる当時のフィルムはこの場合逆効果だ。せっかく脱CGを謳って、現代に残る昭和の風景を探しぬいてロケを張ったのに、当時のフィルムが入るせいで「なんだ(当時を)結局再現しきれなかったのか」という気にされてしまう。CGを一切排した挑戦的な作品と期待していただけに、これでは台無しだ。
また時代考証もズタズタで、抗議の貼り紙を剥がすこともせず平気な顔でその場所で女給が働いている。それについての説明もない。
そしてこういった不自然を放置する脚本が致命的だ。伏線として用意されたきっかけがなんと放置されたまま作品が終わってしまうのだ。慌てて書かれた脚本だったのか、それともそういう脚本家なのかはわからないが、これは痛い。噴飯ものだ。
そして脇を固める俳優たちの貧弱なこと。二流俳優を使うくらいならむしろ小劇場俳優や若手の舞台俳優を中心とした布陣もできた(むしろこの作品のコンセプトにおいて、それは不可欠であったろう)はずだが、なぜかテレビ出演経験の二流俳優。これではやはり「制作費の関係だったんだねえ」「本当は一流を使いたかったんだねえ」という印象しか浮かばない。根底からこの作品の真の価値が揺らいでしまう。
いかんせん、実にいいコンセプトだっただけに作品の特筆を生かしきれなかったことが悔やまれる。名作になり損ねた迷作だ。
その中ただ一人、孤軍奮闘を遂げるのが主演の三浦涼介。結局三浦のポイント稼ぎといってもいいような作品に落ち着いている。「彼のための映画」と評する人もいるが、確かにそうかもしれない。昨今ラッシュの安っぽいボーイズラブ作品とは一線も二線も画しており、赤線時代のオカマという大役を見事に演じきっている。「相手を女性だと思って演技しました」などという「最低な」演技プランを練る昨今の低次元俳優と違って、彼の演技に対する姿勢は実に真摯だ。
外見の女の子っぽさを語調や態度に転用するのがとことん下手な彼(「動く」彼は実に男っぽく、無骨な印象さえ受ける)だが、起伏の激しい感情表現は実に豊かで、瞬間の笑みや号泣するシーンはそれを補って余りある。そうした彼の演技が作品全体を支えている、まさに彼を見るための作品かもしれない。だが、それならばもっといい脚本だったら尚と思われて、余計に惜しまれる。もっとも俳優としてのキャリアはまだ浅い彼、今後ますます見せ場のある作品が増えることを期待する意味では、いい一作になったのかもしれない。
昨今では「ギャップ萌え」という言葉もあるようだが、それにしてもあの女性的な外見と男性的な言動のギャップには、少々「萌」えない。
仮面ライダーオーズ Full Combo Collection
Time judged all (Music Clip) のDVDが欲しくて、買いました。
オーズが好きな人ならわかってもらえると思いますが、本編においてアンクが絡んでくると、一気にストーリーが引き締まって、深みが俄然、増してくるのですが、このMusic Clipにおいても、全く同様で、アンクが荒ぶっています。映像はニコ動でも視聴できますが、全編で、映司とアンク(右腕怪人の人間態)と唄っているシーンの合間に、タジャドルコンボ状態のオーズがポーズをつけてるだけなのですが、最初は孔雀の羽の映像から始まっちゃったり、メダルも合間に写っていたりと、洋楽のMusic Clipにも負けていない、カッコよさで、過去にあったブレイドのように出演ライダー俳優が唄っていたレベルと訳が違います。(ちなみにブレイド大好きですから)
シングルカットされたら、絶対に売れるはずです。伊達組もさすがに簡単には勝てないはずです。
アンクファンの方、見ないと絶対に損します。カッコ良さ、ハンパないです。
これで勢いをつけて、渡部 秀さんと三浦涼介さんは、カブト組のようにメジャーになってほしいです。
はじまりのことば
主人公の少年が色々な大人との出会いを通じて成長していく物語。児童文学として書かれた物語ですが、ひと癖もふた癖もある魅力的な大人達との対話は含蓄があり、既に大人となった私も楽しめました。
特に”「かまど」と「オパール」と「坂田塾」の三ヶ所をぐるぐると回り、毎日日記をつけている間に、ぼくの小さな<自分>は、溶けてしまったのかもしれない。”のくだりはさらっと流されていますが、私は『クマのプーさん』の最終章を思い起こし滂沱と涙したのでした。
少年時代にこの本に出会った人は幸福感を得るでしょう。少年期を脱した人は生きる力を得るでしょう。是非みなさんに読んでいただきたい一冊です。
圧縮批評宣言
「脳死状態にある文芸批評の蘇生」を図っていると島田雅彦に帯文を提供されていて、まさにその通りの才幹が此処にいるという感じ。
肝心の島田氏とは本書で対談もしているというのに、当の島田氏について『浮く女沈む男』を評しながら「後世に残る作品の一本ぐらいは書けるだろう」と書いてしまっているのだから、まさに凄みのある書き手で、とにかく文章が巧みで芸達者です(逆にそんなわけで島田雅彦の男伊達ぶりもうかがえます)。
大御所からいまどきの作家・批評家から、数多い固有名詞が踊っているなか、安藤礼二や前田速夫らの名前があがって出てくるのはまあこのご時世なのでしょう。が、苫米地英人、忌野清志郎、北村薫ら、通常の文芸批評本ではほぼ出てこない人たちが出てくるところも、実にユニークです。
というのも、個人的には、ミステリーやベストセラー本や社会現象がわからない(読まない/興味ない)批評家・哲学者は、二十年前ならともかく、いまではツーランクくらい下がると思っているからです。
文芸ならではのジャーゴンを一般人にひらくこともできるし、閉じたまま理論も語れる知性だなと感じました。著者は演劇の人でもあるようだけど(それは読むまで知らなかった)、その意味では本人が「創作・批評」の二本立てで行きたいというのはよくわかるし、その資質はまちがいなくありそう。
よくも悪くもロスジェネ世代の反逆児の批評家なのだという「宣言」として熱いものは受け取れます。しかし、取り組むべき作家、組みたい作家がいるのかいないのかっていうところが、どうしても時代の悪さ、寒さを感じてしまったということもあるんで、このあたりは、こういう集めたものではなく、まるごと一冊でどういうネタを次に俎上にあげてくるかにかかってくるということなのか、と考えさせられた。
文芸批評というものを離れて、旬の「知」の匂いを知りたい人におすすめの本です。