
悉皆屋康吉 (講談社文芸文庫 ふH 3)
大正から昭和一ケタ。いわゆるモダニズムのうわついた世相(1=大衆化)と、それへのファシズム的反発の空気(2=純粋化)をとらえた小説です。主人公が「悉皆屋」という、和服の染色仲介業というのがミソ。二種類の時代の空気を冷静に見つめられるポジション(3=媒介する芸術家)。(1)と(2)をともに批判的に見通す(3)。
第二次大戦中に、小説家のポジションを維持しながら書いていたという意味でも(3)です。「時代との距離」の取り方はたしかにおもしろい。
しかし、手代から身代を持つようになりさらに商売から芸術へと目覚める主人公は「上昇」型の典型的小説でもあります。男=論理的、女=感情的であり、女は男の成長の踏み台。
「時代との距離」=時代や女性を踏み台にして「上昇」すること。
そういう意味でも典型的な小説です。「不朽の名作」という帯などの紹介は大仰すぎやしませんか?

悉皆屋康吉 (文春文庫)
「悉皆」(しっかい)とは不思議な響きのことばだが、
要するに「全部、一切」のこと。
反物・着物の染め、染め替え、洗い張りなど
仕立て・仕上げの始末「全部、一切」を請け負った「悉皆屋」は、
和服全盛の太平洋戦争前までは無くてはならぬ仕事だった。
本書は、その悉皆屋を主人公にした、渋いが味わいの濃い傑作。
書かれたのは戦争中だけれども、全然古臭い小説ではありません。
東京本所生まれの作者は、江戸の風致を熟知しながらも、
いたずらに回顧趣味に耽らず、時代と人物が見事に描かれていて好ましいです。
御本人も京都の和服の店に育った、松岡正剛はこう評しています。
《さんざん苦労をしながらも悉皆屋としての、男としての本望を遂げていく。
のちに佐々木基一はこの作品は『細雪』に匹敵するといい、
平野謙は「日本文学者全体が誇りとすべき作品」と褒めた。
旧「文学界」の同人仲間だったとはいえ、
亀井勝一郎は「自分はあえて昭和文学史上の代表作といって憚らない」
とまで絶賛したものだ。
正直いって、そんなに褒めたくなるような作品ではないのだが、
たしかに読んでいてまことに気分がすっとしてくる。》
自分は、働くことの意味は、今も昔も変わらないと思いました。
丁稚奉公など下積みの苦労、認めてくれる人、騙す人など、
登場人物も多彩で、陰影も鮮やか。……かといって、
関西風のいわゆるエゲツナイ商売成功譚ではないので、御安心を。
また、かつて文庫化した文藝春秋は、解説に泡坂妻夫(実家は神田の絵師)をあて、
今回は、出久根達郎(茨城県出身、中学卒の集団就職を経験)。
いずれにしてもこういう佳品を文庫化するにあたって、
担当した編集者の趣味と意気込みが伝わります。

花の生涯〈下〉 (祥伝社文庫)
大老井伊直弼を取り巻く世の中の動きは,
学校で教わった程度の知識では想像もつかないほど錯綜したものだったようです。
確かにこれでは「ええじゃないか」と踊り歩きたくもなりそうだ。
歴史小説って,キビシーですね。
実在人物をモデルにしていると,この登場人物には,こんな役回りを演じさせよう,
なんていう思い通りには,進められないわけですから。
読んでいるほうも,「小説ズレ」してくると,
「きっとこの人はこんな風になっていくだろう」なんて勝手に想像してしまいますが,
その当てをはずされることが多くて,目が離せなくなってしまいました。
それもまた,歴史小説の楽しみでもあるのだろうと思います。
かなり広範な歴史資料に基づいて書かれたもののようです。
今度は是非その基になった資料のほうも覗いてみたいな。