ベスト・セレクション
友部正人さんは不思議な人だ。不思議な歌手ではなく、不思議な「人」なのだと、ぼくは思っている。詩を書く人を詩人と一般的には言われているが、実は、詩とは書くことによって存在するものではなくて、声によって実在化するものではないかとかねてからぼくは考えている。文字としての言語は、確かにに一つの実在のあり方だが、実はとても歪なあり方に過ぎないのではないかと思う。こう書くと音声中心主義的だとの反論もあるかもしれないが、しかし、詩が肉体を通して実在化するとき、詩は一瞬の固有性を獲得する。詩は歌うとという行為を通して一瞬の固有性を獲得する。確かにCDなどによってその固有性は失われるが、少なくともその固有な時空への水先案内人にはなる。もし友部さんの不思議さに触れたいと思う方はぜひこのCDを聴いてみて欲しい。名曲「誰もぼくの絵を描けないだろう」を収めたこのCDはきっと次の友部正人さんに会いたくなるだろう。そしてきっとあなたの耳は生の友部さんを求めるだろう、とぼくは思っている。
LIVE! no media 2006 [DVD]
私は、このイベントに対して詳しく知らない。もちろん当日に会場にいたわけでもない。
たまたま、ポエトリーリーディングという表現活動に興味をもち、そしてたまたま好きなアーティストが何人も出ていたので、残り1点の表示に、迷いながらも購入した次第。(しかし残り1ではなかったのだけど。こういうことがあるとは分かっていても、やられた気分だ)
さて、私は、谷川俊太郎さん、元たまの知久寿焼さん、石川浩司さん、遠藤ミチロウさんの朗読を聴きたいと思って購入したのだが、正直何か物足りない内容になっている。特に知久さんに至ってはすごく短い詩であり、雰囲気はあるものの、すぐに終わっちゃうので、たまのファンの方で、知久さんの声に長く酔いしれるのを期待しての購入は、おすすめしない。ほんとに短い。
そもそもDVDなのに、みんな一遍ずつしか収録されていないことと、特に、何という特典映像があるわけでもないことは、かなりのがっかり感である。私がちゃんと収録内容見てなかったのが悪いが。それにしても、がっかりである。
最後に、主催者である友部さんの歌が収録されているのは大変よかったが、その演奏途中に、おそらく時間的にDVDに収録しきれなかったような各詩人のシーンが、チラチラと見える。ほんの十数秒ではないかという印象だった。
特に私が気になったのは、知久さんが、何かを話しながら瓶ビールを飲んで笑っていて、そのあとウクレレかミニギターを手にしたのが写ったところだ。
あれは、なんだ。
もちろん音声は友部さんの演奏なので、きこえない。
あんな本編短いならそこも入れろよ!!!!!と思わず、叫びたいくらいだった・・・。他のアーティストの映像もそうだ。内容が気になって気になって、仕方ない。胸がもやもやする。
谷川俊太郎さんが、皆さん5時間もおつきあい頂いて と、朗読を始める前に挨拶されたので、おそらく長かったからだろうとは思うが、そこは少々高くてもいいから何枚組かにして全部収録して欲しかった。何か楽曲の著作権やら色んな大人の事情があったかもしれないが。視聴者の気持ちはそのようなものです。
そしてなにより最初から不満だったのは音声だ。めちゃくちゃ小さい
テレビの音が聞こえない
壊れてると疑うくらいだ。
あとは、メニューで、なんか変な音がしている。あれは、演出?それとも私の盤が、壊れてるのでしょうか。
そこが気になっている。
私は、これの他に、実は、live no media2のCDを買ったが、あきらかにそちらの方が、音声的にも、内容的にもかなり充実していると思う。
DVDで、この値段、CDであの値段。収録内容もアーティストもちがうけど。
正直、この朗読会。わざわざDVDにする必要はあったのかと思います。
CDにして詩を一杯いれたら安く販売できてよかったのではないですか。
ただ!
もちろん出演者様の詩自体のクオリティーは高いものではあった。
なので詩人の皆様への敬意を含めて☆は三つにします。DVDだけであれば、1か2です。
しかし、本当にこの収録は、物足りない。もったいない。
にんじん
大げさなタイトルですが・・・。
たとえば誰かからいままで聴いてきたレコード、CDでいちばん好きなものは?
と聞かれたら僕はほとんど迷わずにこの友部さんの「にんじん」だ、と答えると思います。
まあ、聞かれることはないと思いますが・・・(^^;)
73年の発売ですから、もう40年弱の時間が経っています。
その間ずっとロックやフォークやジャズやカントリーやブルーグラスやその他いろんな音楽を聴いてきました。
もちろん好きなCDはたくさんありますし、いまだに毎月何枚もCDを買っています。
その中でもこの「にんじん」は僕にとっては特別な1枚です。
LPの頃から、もう何百回聴いたかわかりません。いまだに聴くたびに新しい発見があります。
たとえば3曲目の「乾杯」は、浅間山荘事件を題材にした唄、というか語りなのですが、今聴いても不思議なことに古くささを全く感じることはありません。
9曲目の「夢のカリフォルニア」は、当時ランブリン・ジャック・エリオットがはじめて来日したときの唄なのですが、これに関しても不思議と違和感がありません。
こうした時事ネタはたいてい時間が経つと古くさくなってしまうのですが、友部さんのこれらの唄に関しては、ほんとうに今聴いても違和感がないのです。
これはいろんな出来事に対する友部さんの視線が的確にそのものの本質を捉えているからだと思っています。
だから普遍性があり、今聴いても違和感がないのだと。
40才過ぎてからはじめて「一本道」に出てくる阿佐ヶ谷駅のホームに立ったとき、「やっとここに辿り着いた」と思いました。
「にんじん」は僕にとっては生涯の1枚です。
“1976”
僕が、誰かに友部さんを勧めるなら、まずこの「1976」を勧めます。
全体的にクセが強いと思う友部さんの歌・CDの中で、この一枚は最初から最後まで、すんなりと受け入れられやすいと思うからです。
加えて、音楽的にも「ホンモノ」だと感じた一枚です。
僕もまた、他のレビュアーの方同様に、最初に聴いた時に「ガツン」とやられた一人です。
作業用に流したのに最後まで聴き入ってしまいました。
友部さんの優しくも芯のある歌が、自身の孤独感や寂しさみたいなモンに共鳴したのかもしれません。