「猛スピードで母は」とか書いた作者のエッセイ本。
小説が面白かったからエッセイはどんなかなって興味を持って購入。
さらに、本の見た目も手にとりたくなる感じ。そして、本の帯がまた
水色・白・黄色のボーダーになっていて表紙とマッチしてとても可愛い。
そんな訳でビニールかかっていて中読めなかったけど購入。
カバーをはずしたところも、また技があって「ぷぷぷっ」って楽しめた。
内容は、エッセイだから日常の事だけど、長嶋有の想像とか妄想とか
そんなことが書いてあって、電車では読めない。おかしすぎる。
「ふふふ」とか「あはは」とか「ぷっ」とか必ず出てしまう。
どの題名のエッセイも笑わずには読めません。
書店で目についた一冊。原作者の作品が好きで、とくに「ぼくは落ち着きがない」のファンである身としては、 どのように漫画化されているのか、期待半分、不安半分といったところでした 結果として読んで良かったです。帯文にもありましたが漫画化や映画化には作品への「愛」が必要なのでしょう みなさん作品をなぞるだけでなく、とても個性がありました(個人的には「十時間」が好きです)
長嶋さんによる「原作紹介」もエッセイを読むようで良かったです 他の好きな作家の方も同様の企画があるといいと思いました
「猛スピードで母は」を読んで期待していたら、ちょっと肩すかしを食らった感じ。ちょっとふつうのエンタメっぽい。ただ、たいしたことも起こらない(わざとらしいことが起こらない)わりには最後まで面白く読めた。イタリア料理店での主人公の感想、「ラグーのパッパルデッレってなんだ」というつっこみは面白かった。でも全体になんか印象が残らなかったなあ。感じいいんだけど……。宙ぶらりんなアラウンド30の男子にはお勧めするけど、それ以外の人にはどうなんだろうなあ。よくわからん。
タイトルに惹かれて買ったのですが、すごくおもしろかったです。ちなみにジュ・テーム・モア・ノン・プリューはセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの1967年(だったかな?)の曲です。
映画「レザボア・ドッグズ」を見たとき、冒頭五分ぐらい男たちが飯を食いながら相当どうでもいいことをしゃべりつづけて全然おはなしが始まらないので「なんだこれ?」と思った。 「ねたあとに」は、あの冒頭五分間がずっと続くような小説という感じ。
山荘に大人が集まって、いろんな遊びを遊んでいる。 いつおはなしが始まるのかと思っていると なんと、始まらない! すごい。 アッコさんという巨乳の女の人が出てくるけど、恋愛もなし。 男たちがひたすら遊ぶそばでただ揺れているだけ(もったいない)。
それは小説として面白いのか? 意外にも、面白いのだ!
人生の成分を「ドラマチックなできごと(意義深い出会いや別れ、身を焦がす恋愛、人間的成長など)」と「それ以外のなんてことのない日常」とに分けると、人生の99%の時間はきっと後者だろう。 今まで小説は前者(ドラマチックなこと)を書くものだとなんとなく思っていたけど、後者「だけ」の小説があったっていいじゃないか。 むしろ後者のうちに語られるべき面白い細部がいっぱいあるんじゃないのか? 「ねたあとに」はそう言っているようだ。 (そういえば漱石の「猫」だって、大のおとなが遊びだべる「だけ」の小説だった。)
日常の細部は人生の大きなドラマと同じぐらい面白い。 長嶋有はデビュー以来そう言いつづけてきたと思う。 「ねたあとに」はそれを突きつめ、ドラマを徹底排除したあとに「何か」が浮かび上がってくるじつにスリリングな小説だ(しかしこんな壮大な実験をよく新聞連載でやったものだ)。 真剣に遊ぶ地球人を、宇宙人が上空から見てつづった観察日誌みたいな面白さ。 初めて読む長嶋作品にはお薦めしないが、間違いなくいちばんエッジな長嶋作品。 作家コモローの山荘に招かれた気分で、一晩に一章ずつ読むことをお薦めします。
|