未完結の問い
これは本文の随所でも後書きでも自省しているが、聞き手=鎌田哲哉の自慢話の書き散らしか、そうでないとしたら巨人の胸を借りて、自分の論敵をくさす本なのではないか。
かなり大西の核に肉薄しているだけに、その点があいにく汚点となっている。
神聖喜劇 (第1巻)
このマンガ、みんな褒めてるのは知ってたけど、かなり値が張るでしょ。だから購入を躊躇ってたんです。でも、たまたま第1巻を古書で見つけて読んでしまったら、残りの5巻新本で買っちゃいました…ううん。
物語はゆっくりゆっくり進んでいくんですが、やっぱり5巻から6巻の大団円の部分に、すべてが凝縮されて流れ込んでいる感じですね。長さに意味のある物語なんですよね。いいですよ。なんか版元の幻冬舎には一抹の悔しさも感じますけど。
先頃、手塚治虫文化賞新生賞と日本漫画家協会賞大賞を受賞しましたね。しかし、背表紙に3人も名前が並んでいたのは、最初はかなり違和感ありましたけどね。
各巻の終わりに収められている「解題」では、第2巻の三浦しをんの文章が面白かった。三浦しをん、読んでみたくなりました、関係ないけど…
地獄篇三部作 (光文社文庫)
自己韜晦なのか、異様に厳密な文章上の各要素(単語、熟語、概念語、名詞等)、文脈への規定性なのか、将又、著者一流のヒューモアなのか、大西巨人の文体は全く独自孤高である。このこれまで未発表だったという作品でも、それは同様である。
三篇中、真ん中の『白日の序曲』は大西巨人の『悪霊』(ドストエフスキー)とも言うべき、緊密さ、奇怪さ、息苦しさのようなものを感得させる。ストーリーの素材はまさにスタヴローギンであるが、文体がそのように思わせもする。意識の流れというような方法性よりも、『罪と罰』のスヴィドリガイロフの自殺へ至る描写を想起した。あれほどの自在性よりはやや人工的なものを感じはするが、その緊密さはやはり大したものだ。しかも、本作でもあらためて思うのは、大西巨人は「喜劇」の作家であるということだ。
喜劇のスタイル、それが大西巨人の文体なのかもしれない。散文精神の一つの極北であろう。
神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)
è¨ ̄ä"äé¡'2迱-'°é¨'äo'°°¨-...\é䧧è\¿ ̄...¨2'"è'-ä3¨-°-£ ä\ääo ̄§aäaää'...μ£'訨§§ä¨é è3'o£è¬è¿a¨£ä"'-¨è¿ ̄μ§o° ̄ä\ä¡°ä"'é"é'-'-¨ ̄è¨é£äoo '§ ̄é¨--...¨ä"'è¿...èa äoè-1μ±é£-§§è\¿¬μ ̄a '£'è3豨"訨äoo...¨èo'è¡¡a3!è'é§ä¿"¨§èaè¿-騨...騧éa£ ääoo...¬°a訶¡ä¨è¨§é§a3è¡oääèa¶§ ̄aéä¿-a'3§é¢§è\¿¬μ ̄" '¢¨...1é±'-"¨§-1è¨è¬-è-èè¡"è-¨°èa¬°èa¬¨-¨μ"¨¶ää"¨a£ä£-\¬¨£ä"μ3£§' -1'ä'ä¨1§
èa3'ä訰è\¡äoo§è¶...3èa¨ £¨-§-\¬éè§ ̄"¬'èaé3èä觨a'a...μ¨"'¡è-"!¨ ̄§a£è¨°è±¡ ̄é è¡£äé¨11騰...μa'èμ°ä¨
神聖喜劇〈第2巻〉 (光文社文庫)
2巻目に入った。長編を読む楽しみのひとつが、読んでいる期間中。本を閉じているときでさえ、その本で描かれた世界を思い描き、描かれた世界にともにいることだ。現実は本とともにあり、実際生きているここにはない。そういう不思議な陶酔状態を延々と続けることができる。読んでいる間だけ。
2巻目なのに、読み終わるのが惜しくなっている。意図的に読書速度を落として、この世界とともに過ごす時間が、少しでも長くしたいと考えつつある。
この小説の感想を述べてゆくことは、極めて困難だ。少なくとも現代小説には類例をみない。強いて例えるなら、昭和16年から昭和20年に起きた、軍隊生活内部での、できごとを、古文の表現手法で描き出した世界なのだろうか。
軍隊内部で行われる日常を通じて、主人公の内面は、古典から政治、文学、漢文、詩作にいたる自分自身の知的蓄積の内部を目まぐるしく文献を検索し、相手の発言や意図を予測する。
その思考の面白さと、博識さ、ついでに学べてしまう、あらゆる分野の文献の楽しみ方、そういうものをいっしょくたにして、展開してゆく。
誰も真似ができない。類似のものを書いたとしても、この筆者以外の筆力と知力では、それは必ず破綻するだろう。
そうして、この2巻目。1巻目とは趣を異にして、入営前の愛人との濃密な関係についての秘密が解き明かされてくる。主人公の頭脳の中を泳いでいるような心持ちだ。