弓道士魂―京都三十三間堂通し矢物語 (レジェンドコミックシリーズ―平田弘史作品 (7))
フェルミ推論と同類問題に「弓で矢を射る。どこまで飛ぶか?」がある。非常に面白い問題です(奥深く限りなく楽しめる)。
弓道は日本が世界に誇る武道のひとつだと思うけれど、そのルーツは、本書で描かれている「京都三十三間堂(蓮華王院)120m通し矢」にあるのではないかとさえ思う。そのいきさつを当時の関係者の視点で描いた貴重な本であり傑作です。
末尾の解説に、通し矢競争の雄藩であった尾張藩の付家老末裔の成瀬氏が一文を寄せられているのも興味深い。「藩主の自己満足のためのイベント」という位置づけのようです。
記録を達成できなかったとき自決した事例はあったし、それに準ずる悲劇はあった。それにもかかわらず、この競争に叡智を注いだ経験は、今日の日本の科学技術に繋がるものがあるのではないだろうか。思いつきの努力の限界にあたったとき、才能の発掘と育成、環境技術(通し矢回廊と同型の建造物を作る、霧などの自然対策など)、器具の研究開発(射手の特徴、弓、つる、矢のそれぞれの物性、全体の調和)など体系的に突き詰めて考究を尽くしたことの意義は大きい。日本の技術開発精神のルーツを見る思いがします。
最終的には、紀州藩の和佐大八郎が尾張藩の星野勘左衛門の八千本を132本超えた。それは尾州の勘左の助力があったということで、両藩の総力の結晶という形で大団円となった(とした)。驚異的な記録です。
年代としては、関が原の豪傑、浅岡平兵衛(1606年)が酔狂で通し矢(51本)をしてから、和佐大八郎(1686年)までの80年間。
時代は過ぎて、ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲル氏が大正末期に来日して、弓道師範の阿波研造氏に師事して研鑽された。その体験記は残されている(「日本の弓術(岩波)」他)。圧巻は、ヘリゲル氏がドイツ観念論では理解不能な阿波師範の教えに反抗したとき、師範は夜の試射実技に誘った。師範は暗闇の中で的の前に線香を立てた。射手から的は闇に包まれて見えない。師範の一射目(音で的に当たったことは分った)、続射(異様な音)。ヘリゲル氏が確認に行くと、一本目は的の真中を射ていた。2本目は1本目の矢軸を破って的に刺さっていた。
以後、ヘリゲル氏は「疑うことも、問うことも、思い煩うこともきっぱりと諦め」精進し、奥義を窮めたと言う。今日のお受験型教育では、ヘリゲル氏が崇敬した阿波師範のような人材や国をきちんと導くリーダーを得ることは至難であることに嘆息します。
腕~駿河城御前試合~ 1 (SPコミックス)
「駿河城御前試合」の劇画化は平田弘史、とみ新蔵、山口貴由の三氏が挑んでいます。
近年では「無明逆流れ」を主とした山口貴由さん「シグルイ」の印象が強烈で、お読みに為った方には先入観無く本作に接するのは容易くないと思います。
それでも素晴らしい絵を描くベテランで、かつて小島剛夕さんの後を継いで名作「子連れ狼」の続編を担当する難事にも挑んだ森氏らしく中々健闘しています。
試合の順番は巻頭の「無明逆流れ」以外はシャッフルされており、この巻に収録されている他のエピソードは「がま剣法」と「判官流疾風剣(疾風陣幕突き)」です。
私は原作と他のコミカライズ全てを読んでいますが、流石に「無明~」は「シグルイ」と比較すると地味に映る物の、他は連作短編だった原作一話に付き70頁前後でまとめた本作の方が近いと思います。
実は原作のエピソード全てを完全劇画化した作品は未だ無く、現在(2011年6月)も隔月刊誌「コミック乱TWINS戦国武将列伝」にて連載中の本作には是非とも成し遂げて欲しいと思いました。
黒田三十六計 8 (SPコミックス)
侍の時代劇漫画の巨匠平田弘史先生の最新巻。「黒田・三十六計」のタイトル通り、主人公黒田官兵衛中心の話でありますが、敗北した毛利家、明智家のエピソードなど大量に投げ込まれ群像劇となっています。「智に生きるもの」、「義に生きるもの」、「欲に生きるもの」。すべての登場人物が徹底した生き方を貫いていて、その各々生き方が戦場という場所で交わり、男くささの美学を醸し出しています。一番すごいのは、P154の明智光秀を抱く斉藤利三の絵で、この絵だけでも本の価格以上のものがありました。
無明逆流れ レジェンドコミックシリーズ12 (レジェンドコミックシリーズ―ポケットレジェンドワイド (12))
「シグルイ」から原作の「駿河城御前試合」へ、そして此処へ辿り着きました。
「シグルイ」は漫画ですが、この作品は”劇画”です。
作者の初期の作画は、丁寧な線の描き込みで勢いが無いと感じる方も居られるかもしれませんが、私的には満足しております。
同録の「美童記」と、それぞれ星5つと言いたいのですが、
如何せん価格が高いので、合わせて星9つです。
それがし乞食にあらず (平田弘史傑作選 (昭和四五年~四六年))
時代劇におけるセンスオブワンダーをこれほど持ち合わせた漫画家がほかにいるだろうか。 各登場人物たちの武士たる故の あるいは武士ならざる為に入り乱れる感情、血、臓物。
決して美化もせず卑下もしない客観的な視線、それでも溢れ出る激情をまったく余すことなく書ききっている。
本人がどういう意思で書いてるのかは分からないが、エンターテイメントの範疇で扱えるものではない。