イングリッシュ・モンスターの最強英語術
早速書店に行って手に入れてきました。
1時間位ですぐ読める本です。
この本の中で著者は英語を勉強する上で
「これさえやればすぐにできる!」なんてものは無い
と繰り返し強く主張しています。
例えば、英単語を覚えるのにはNewsweek等を読みつつ
知らない単語にマーカーを引き、辞書で調べ
余白にその意味を記入していく
また次の日も
同じ文を読んで英単語を確認しつつ同じやり方で読んでいく。
TOEICの参考書なら何冊もやらず
1冊をとにかく分からないところがなくなるまで
やりこむ。
当たり前のことを述べているのですが
説得力があります。
そして最後の坂本竜馬の「オトメギルル」
の話がとても心打たれました。
勉強法が学びたい!という方には物足りないと思いますが
英語を学びたい!という方にはモチベーションアップ等になると思います。
是非書店で手にとって最後の話でも見てもらいたいです。
ベートーヴェン:交響曲全集
カール・ベームは没後に人気が凋落して、ついこの前レコード○術とか言う雑誌で行っていた人気投票(これ自体くだらないと思うが)では10位を切っていた、3,40年前は3以内に入っていたのにえらい変わりようである。その人気の変遷と、レコード評論家(先ごろなくなった“有名な”評論家Ku氏を典型として)の言っていることの変遷(かつてと違うことを、何の分析もなく言っていること)に対し、疑問を抱き、レコード評論家というものをあまり信頼しなくなったきっかけとなった。今回の投票だって、いったいきちんと聞き返しているのだろうか。大雑把に言って、その時々にレコード会社が持ち上げている演奏に対し、ちょうちんもちをやっているに過ぎないのではということである。したがって人気がなくなったらおさらばということか。
そもそもカール・ベームの演奏のどこがかつて評価されたのだろうか。私見では(これは許光俊氏もどこかで書いていたが)、おそらく歌劇場での長い経験による、息遣いの自然さと、それを支える緻密な音楽への奉仕ということだろうか、それをベースに特に実演では、強い意志による推進力が生じる。今回改めて聞くと、どの曲も緩やかな楽章の豊かで流麗な音楽に打たれる。ベームはよく職人芸の指揮者と、簡単に言われるが、決して機械的なものではなく、それが当時多く輩出した、ノイエザッハリカイト(新即物主義)の指揮者と大きく格が異なることであろう。こういったことに対し、現時点の視点から分析してみることをしなくて、何が批評だろうか。
例えば2番の2楽章の流れの豊かなこと、当時少し遅れて出た、ショルティ、シカゴなんかと聞き比べてみたら、ぜんぜん違う。全集のなかではかろうじて6番が高く評価されているけれど、8番なんて、こんな難しい曲の実に味のある演奏がきける、例えば3楽章を聞いてみるとよい。ティンパニの味のあるニュアンス、トリオのホルンを含めた響きのよさ。偶数番号は全て高い価値を持った演奏だと思う。奇数番号も3,5は実況の録音に選りすぐれたものが見出されるのでもう少しだが、7番なんて非常に流麗な演奏だし、9番もスケールの大きな、充分に迫力ある演奏だと思う。
それから、これは吉田秀和もどこかで批判していたが、ベームはドイツと日本だけで評価されていたと言うのは、よく調べもしない不正確な話である。私は30年以上も英グラモフォン誌を購読していたが、そんなことはない。つい数ヶ月前のフィガロの結婚の代表的な演奏として、まず第一に、ベーム、ベルリンドイツオペラの演奏が挙げられていた。
戦場にかける橋 デラックス・コレクターズ・エデション(2枚組) [DVD]
他のリーン作品の例に漏れず、本作品もプロットと綿密に絡み合った緻密な内面描写で登場人物たちが絡み合いストーリーを織りなしていくが、とくに最後の場面ではホールデン、早川、そしてアレック・ギネス演じる英国人士官の動きによって、登場人物たち、とくにギネスの演じる人物の内面的混乱が映像的ダイナミズムをもって巧みに具現化される。そして彼らの内面的ドラマは橋の破壊を焦点とした圧倒的な映像表現とともに終局に向かってゆく。
人間性の尊厳、軍人の矜持と虚栄、敵味方を超えた友情、肉体的な達成感、激しい憎悪、戦争の不条理、などの相反する要素が重層的に絡み合い、圧倒的なスピードと映像美で我々の潜在意識に訴えかける。これぞデイヴィッド・リーンの真骨頂である。映画ならではの技法のひとつの高度な成功例がここにある。