ロホホラ
この人の事については今更とやかく言うまでも無く、70年代の日本のフォークシーンに大きく貢献してきた人であることは間違い有りません。
60年代からのキャリアを持ち1968年中頃に関西フォークのムーブメントに加わり幾つかのグループに参加し、中川イサトと組み「律とイサト」名義でアルバムをリリース。その後、渡辺勝も参加していた「アーリータイムスストリングスバンド」や徳武弘文も参加していた「ラストショウ」等々日本の音楽史に残るバンドに在籍していました。
その後は数多く日本のミュージシャン、アーティストのレコーディングやライヴに参加してきたキャリアを持ちます。
で、実は彼のこのソロ・アルバムが2003年に出されていた事を知ったのはつい最近でした。
しかも、ネットで知ったので、この世にネットが無ければまだまだ知らないままでいたかも知れません。
まさに恐るべきネット、ありがたきネット、素晴らしきネットでしょうか。
このネットのおかげでまた素晴らしい音楽に出会えたのですから。
内容の方は、音というか、彼の音楽性(ジャンル?とでも言いましょうか)はもう聴く前から想像出来るもので、あとは、このアルバムの出来栄え次第でした。
でもその少しの不安も、このアルバムの始まり、最初の1曲目の出だしの部分で一瞬にして解消されました。
その彼の人間性みたいなものが滲み出た、ゆったりとした雰囲気に包まれた中にじっくりと聞き込むと、その緊張感を持った彼の歌や演奏が詰め込まれていました。
下手をするとただ単にダラダラとしたルーズな雰囲気になってしまいそうですが、このアルバムにはそうはならない、彼の持ち味がフルに発揮されたものとなっているのではないでしょうか。
バンジョーを弾きながら歌を歌うと言うパターンは日本では非常に珍しい形ですが、アメリカでは60年代から数多くの人がいて中でも有名なのが「Pete Seeger」と言う人がいてますね。
でも本作はその「Pete Seeger」よりは堅苦しくなく、もっともっとソフトで親しみやすく、聴いていてホンワカとして心洗われる雰囲気を漂わせています。
バック陣も彼のそれまでのキャリアから集まってきた腕も名もある素晴らしい人達が、素晴らしい演奏を披露してくれています。
それは決して前にシャシャリ出ることなく、本作の主人公である「村上律」の歌を、演奏をより一層光り輝くものにするために、そっと後ろから何気なくサポートしているのは流石ですね。
これだけの素晴らしいアルバムを作る事が出来る人だけに、もっと早くからソロ・アルバムを多く出していて欲しかったですね。
北嶺のひと―比叡山・千日回峰行者 内海俊照 (PHOTO‐MANDALA)
昨年11月中旬、50年振りに会った長年在米国の友人夫妻と
日吉神社に紅葉狩りに出かけた際、とあるお方にお会いし、
帰りに良ければ、律院とゆうところに自分はいるから寄って
みなさい、とのお誘いを受けました。この方が内海俊照千日回峰
行者でした。お庭を愛でながら,お茶菓子のご接待を頂きました。
お話合いの中でも、自然体で、それでいて眼光鋭く私達の来し方 を見通しておられる様に思えました。我々には実感出来ないながら
その努力、辛抱、我慢、は想像するだけでも素晴らしい。
どの世代にも向き、また読み易い。