京都の御所と離宮③ 桂離宮 (京都の御所と離宮 3)
桂離宮に魅せられて過去に数回訪れています。27歳で木村伊兵衛賞を取った実力のある三好和義さんによる撮り下ろしによる写真集は実に素晴らしいものでした。その感性と技術でもって美を追求したハンディムックだと思います。オールカラーですし、一般参観では見ることのできない内部からの景観を披露していますし、なにより三好さんの写真で紹介しているわけで、類書と比較してもその評価は相当高いものとなりました。
日本庭園の美の極致を名カメラマンが撮っていますから、味わいもまた格別でした。写真の色調が落ち着いており、深みや陰影に富んだ写真に惹かれます。音のない静謐な空間の素晴らしさが伝わってきました。桂離宮の美しさを最大限に引き出し、最高の写真として提示する感性がないとこのような見事な写真集には成りえなかったでしょう。
書院からお庭を見ることなどまず不可能ですから、本書で十分に堪能させてもらいました。
中書院から広庭を襖越しに眺める図もいいですし、新御殿内部の入側縁と一の間から広がる景観の素晴らしさはこれぞ日本の秋と言った感じでしょう。
松琴亭のモダンな市松模様の襖や、茶室の設えも普段は内部に上がることが出来ませんので、しっかりと観賞できました。土橋と霧島躑躅を俯瞰して撮った写真は流石ですし、188ページの月の桂の作品は味わい深いものがありました。
桂離宮のガイドブックという利用もあるのでしょうが、内部から見た景観など、実際に見ることは出来ませんので、かえって惜しい気持ちが募るでしょう。あくまで自宅で観賞用として眺めるのが一番精神衛生上良いでしょう。
なおいずれの写真にもしっかりとした解説が付きますので。
つくられた桂離宮神話 (講談社学術文庫)
この著者の井上章一さんは、前にラブホテルという性愛空間が戦後日本においていかにして構築されたか、その言説を追った『愛の空間 (角川選書)』という本を読んだことがある。綿密で禁欲的な言説史の研究は、ラブホテルという軽い題材でありながらも、読ませるものであった。
その研究スタイルは本書でも健在。この本は、桂離宮という立派な古典建築を扱いながらも、建築という専門分野にはとどまらない。本書のテーマは桂離宮ではなく、桂離宮という建築の美的評価にまつわる「ディスクール」である。
ディスクール(言説)とは、複数の解釈が重ねられていく内に、それが現実に先行していくという現象を指す。人間誰しもが時に陥る、偏見や作為的なものの見方。それが積もり積もって、一つの確固とした現実として縁取られていく、その過程を本書は描く。
高評価に含まれる一種の偏見を解きほぐしているため、一見この本は桂離宮という建築物を愚弄しているようにも受け取られかねない。筆者自身もあとがきでそのことに触れ、真っ先に否定している。
たしかに、言説によってその学術的、美的評価が増殖してはいるのかもしれない。しかしどちらにしろ、戦後から拝観の制限がゆるくなり、一般大衆にとっての京都の一大観光名所として桂離宮が盛況したというのは「事実」であり、さらに簡素な構造をモダニストの建築家にもてはやされる一方で、新御殿やその他の装飾的な部分をポストモダニストやその他の建築家によって評価されたということもまた、覆しがたい「事実」なのである。
同じ建物であるのに、そのように全く両極端の陣営から評価されること。桂離宮には、まるで女性でいうところの「コケットリー」(媚態)のような妖艶でミステリアスな魅力が備わっているようである。
まだ写真でしか見たことないけど。