友情 (新潮文庫)
読む前は上辺だけの綺麗事に終始する物語なのかと思っていたが、
読んでみたらそうでもなかった。良質の友情小説・恋愛小説なのではないだろうか。
物語後半で大宮が苦悩しながらも野島に"事実"を突き付けるくだり、
大宮の告白を野島が受け止めて返事を書くくだりは中々に男らしかった。
テラテラと傷を舐め合い庇い合うのは真の友情ではないことが分かる。
一方、杉子から「一時間以上そばにいたくない」「本当の私よりも高い理想を勝手に私に抱いている」と言われてしまう野島。
ここまで散々に言われるくらい杉子を請い求める姿勢を、今を生きる草食系の男はある程度は見習って良い気がする。ある程度は。
武者小路実篤詩集 (新潮文庫)
するりと胸に落ちてくる。
読みやすくて、同じ場所に立って情景を見ることができる、そんな詩集である。
武者小路実篤の90歳までの作品が集められているのですが、常に想いや信条といったものが一定で一貫しています。
真面目で…純粋で、文学者、画家としての彼の生き様が美しいと思ってしまいます。
美しいけど、儚くはない。
寧ろ、骨太で、力強さすら感じてしまう詩がたくさん並べられています。
武者小路実篤の確固たる信念が、ただ真っ直ぐ胸に響いてくる。
そんな言葉がたくさんあるのです。
お目出たき人 (新潮文庫)
若かりしころの恋とは、一途で、盲目で、とにかく後先のことは考えていなかったような気がする。しかも片思いが相場と決まっていて、相思相愛などあり得なかった。
いつのころからか、そういう腫れ物に触るような恋とは異質の、もっと打算的であっさりとした友愛的な感情に変わっていった。それは年を重ねるごとハッキリして、シングルであることが寂しくない程度の、刺身のつまみたいな感覚に変化してしまった。だがそれはよくよく考えてみると、恋という摩訶不思議な感情に溺れ、自分を見失い、傷つくことを恐れる余りの、自己防衛本能であるとも受取れる。
『お目出たき人』に登場する主人公は、恋に恋する青年の失恋するまでのプロセスを描いている。片思いに苦悩するというのと少し違って、これを恋と名付けて良いものかどうかと迷ってしまうところだが、あえて恋と呼ぼう。話したこともなく、ただ主人公宅の近所に住んでいたという偶然の成り行きで、その女子が恋のターゲットとなったわけだ。
始終、女に飢えていると自覚する主人公は、手を代え品を代え、恋する女と結婚の約束を取り付けようとする。もちろん、間に人を介するのだが。
主人公は、この恋という尋常ではない感情に身を任せ、詩人となり、夢追い人となり、お目出たき人となるのだ。まっとうな成人男性なら、なかなかここまで恋する男に身を投ずることは出来まい。
正に、タイトルどおりだと感心してしまったのは、恋する女が女学校を4番という優秀な成績で卒業したのを知る場面だ。主人公は我が事のように喜び、鼻が高い気持ちになる。(しかし、この時点で女とは何の進展もなく、ただ一方的な片思いの状況だ)
そして主人公はふと思い出すのだ。そう言えば、自分が学習院を卒業する時、ビリから4番目だったな、と。意味は違うがお互い4番目同士だと嬉しく思うのだ。
このくだりを読むと、私としてはとにかくツボにはまってしまい、それはもう愉快な気持ちになってしまう。恋って、人をお目出たくしてしまう甘美な毒なのだろうか?
物語のラストは、当然の結果とも言える終い方なのだが、それがまた驚くほど楽観的で前向きだ。誰も傷ついていないし、むしろロマンチックに幕を閉じている。これはひとえに、著者の博愛精神によるものなのか、純粋さによるものなのか、いずれにしても、失恋が失恋の意味を持たない青春の明るさを感じさせてくれる作品となっている。
読後は、自分がいかに俗っぽいか思い知らされる。(信じて疑わない強さが、私には足りないなぁ・・・笑)