大江光ふたたび
「大江光の音楽」の世界からみると、アップテンポの曲が多い。
おまけに一曲ずつテンポが変わるので、はじめは気持ちいいものではないのだが、朝の目覚めにはちょうどいい感じ。
クラシックでおめざなんて豪華な雰囲気だよね?それって私だけ?
伊丹十三DVDコレクション 静かな生活
渡部篤郎、佐伯日菜子という若い俳優が全編を通じて光る演技を見せています。
特に2年目の佐伯さんは演技開眼と言っても良いくらいの活躍でハンディを持った
兄のイーヨーを健気に支える幼い絵本作家志望の少女マーちゃんを体当たりで
熱演しました。
大江さんをイメージしたお父さんのKさんがお母さん共々海外に行ってしまい、残され
た兄妹がまるではじめてのおつかいのような水泳体験や法事旅行で見せるひやひや
しながらも微笑ましい場面や、イーヨーの音楽の才能の故に兄の心理を読みきれない
楽曲「すてご」や近所への徘徊に気が気でないマーちゃんの心情など、兄の純粋さを
信じる妹の「ひょっとしたら」という微妙な思いを伊丹演出が見事に描いていますね。
まだ未熟な二人が互いの大きな信頼で困難を乗り越えていく、観ているこちらにも
暖かい感動が伝わってくる、お勧めの秀作です。
定義集
朝日新聞に2006年4月から2012年3月まで、毎月1回連載してきた全72本のエッセイを単行本化したもの。評者は新聞連載中から楽しみに読んできたが、今回本書を読み返すと、かなり読んできた積りが読み落としは多く、また読んだにしてもその読みは表面的で浅く著者の本意を充分理解していなかったことに気付かされた。
本書の構成は掲載時順に並んでいるが、内容的には3つ位に分けられよう。1つは時論的テーマで、この6年の間に沖縄での集団自決問題で著者が被告となった裁判(最終判決は無罪)との関わりや「憲法九条の会」の呼びかけ人グループとしての活動が同時進行的に進み、最後の1年には3.11以降の脱原発集会での活動が加わる。またこの間に亡くなった井上ひさし他親しくしていた方々への追想もある。2つめは文学的テーマで、創作を志す若い人に向けての「新しく小説を書き始める人に」や「新しく批評を書き始める人に」は、著者自身の作家活動を踏まえてのアドバイスがあり実践的で説得力に富む。この外読書体験や読書法についても触れており、特に「子供のためのカラマーゾフ」の読み方はユニークで面白かった。3つめは家族や知人との交流記である。といっても単なる身辺雑記ではなく読んだ本や感銘した言葉を手がかりとして回想しており、家族(四国のご母堂、ゆかり夫人、長男光君)との交流は心暖かく、著者の出会った人達(高校時代の友人や大学時代の恩師、国内外の創作家、芸術家、学者、医師等)との交流には知的興奮を覚える。
読みながら書名の「定義集」と内容に齟齬を感じ気にかかったが、疑問は最終章で氷解する。著者は、言葉や物の考え方をあいまいなままにせず厳密に取り扱う必要を痛感しており、自分の言葉で定義することや辞書で確認しながら定義し直すことを実践している。出版社の惹句に評論的エッセイの到達点とあったが、座右に置き少しずつ考えながら読むべき本だと思った。
死者の奢り・飼育 (新潮文庫)
大江健三郎の作家デビュー期の作品集。初期からどれだけ完成された才能だっかがよく分かる完成度の小説ばかりだが、これらの作品は終戦時から朝鮮戦争時までを舞台とし、米兵や日本軍だけでなく、頭でっかちなインテリ、ひたすら沈黙している一般大衆などへの嫌悪感がストレートに書かれている。この「嫌な感じ」の底に流れる性欲の見せ方が本当に汚らわしくて巧い。
今では戦後民主主義の礼賛者としてカリカチュアライズされている作家ではあるが、この若き日の作品集を読むと進駐軍が象徴するアメリカへの反感も濃厚であり、この点が興味深かった。政治的な小説ではあるんだけど、ある固有の主義やイデオロギーに根ざした主張ではなく、もっと根源的な人間の嫌らしさと政治性に対して表現を試みた作品集だと思う。そして、そういった態度表明が大江にとっては実存主義を生きるということだったのだろう。
飼育 [DVD]
太平洋戦争末期の困窮した山村を舞台にして、日本人社会の戦争責任をテーマに描いた大島渚の力作。テーマ自体が大きなもので、しかもそれを力押しに押した映画でありながら、決して図式的、観念的な絵解きだけの映画にはなっていないのが立派です。これは、脚本(あるいは原作?)の段階から、登場人物の性格づけが巧みであったこともあるでしょうが、俳優陣の好演によるところが大きいでしょう。
村の顔役(本家)を演じた三國連太郎、その妻の沢村貞子、分家の加藤嘉、山茶花究(絶品)、そして子役達。かれらは、日本人のある種のタイプ(都会生まれで20代までの人には分からないかもしれませんが)を実にリアルに体現しています。そして、かれらの演技が血の通ったものであるため、この映画は、戦争責任という範囲を越えて、さらに人間や共同体の根本的な「悪」まで突いているように思われました。すなわち、「それぞれが被害者と加害者の側面を持ちながら自分を被害者としてしか見ず、罪に対する責任を認めようとしない。罪を逃れきれない状況となれば、責任は立場の低い者、死んだ者、そしてよそ者(外国人)に押し付けられる」、そうした構造的な無責任です。
しかし、こうした人間や共同体がリアルに描かれているということは、彼らの貪欲や卑劣、卑屈がそれだけ生々しく観る者に迫ってくるということです(半端でない!)。結果として、映画は異様な重さと迫力を持つものになりました。正直、敬意は払いますが繰り返し観たい作品ではありません。
あと、画質について一言。画面はモノクロで、まあ良いのですが、一部シーンで影の部分が白く浮く(曇る)デジタル特有の不良現象(ちゃんと名前があると思うのですが分かりません)が起きていました。マスターが良くなかったのかもしれませんが、市販ディスクでお目にかかったのは初めてです。