或る女 (新潮文庫)
中にはこの著書の隠微なタイトルに惹かれ、思わず買い求めてしまったという方もいるに違いない。だがこの小説は至ってまともなモデル小説であり、優れた日本文学の一作なのだ。
解説をくまなく読んで分かったのは、モデルとなったのが国木田独歩の最初の妻、佐々城信子であるということ。正直なことを言えば、その佐々城信子についてはまるで知らなかったのだが、読みすすめていくうちに、その破天荒な生き様に興味が湧いてくる。
主人公は葉子というのだが、自由恋愛の名のもとに結婚したところ、わずか2ヶ月で離婚。その後、別の男から熱烈なアプローチを受け、周囲の勧めるがまま婚約。だがビジネスの都合上、婚約者は一足先に渡米。葉子も遅れてアメリカへ渡るのだが、その船中で知り合った船乗りの情熱的な求愛の虜となる・・・というストーリー展開だ。
いつの世にも、このような自由奔放に生きる女性がいて、この小説の主人公だけが特別というわけでもないのだが、それでも時代という大きな波のうねりを考えれば珍しいタイプの女性である。
葉子の母はクリスチャンで、キリスト教の信者なのだが、その娘である葉子は神に対して冷淡である。むしろ信じていないような素振りさえ見せる。その証拠に、世間に背き、子を捨て、婚約者をないがしろにして、妻子ある男を身も心も焦がすほどに愛してしまう。自分を軽蔑する親戚とは、歩み寄るどころか昂然と戦いののろしを上げる。女性間にありがちな嫉妬や噂話なども撥ね退け、神経をすり減らし、孤独の闇をさまよいながら悲劇に近付いていくのだ。
この無謀な生き様を、100%認めてしまうのは非常に難しい。世間の常識を踏まえながら読んでいれば、「これはちょっと酷すぎる」とか「人の道を外れ過ぎてる」と思える箇所が、いくつも出て来るからだ。だが著者は、そんな主人公の末路を冷静に、しかも容赦なく書き留めている。太く短く恋に生きる女の破滅的な生涯を、正統な文体で綴ることにより、限りなくリアリズムに近づけたのかもしれない。
『或る女』は長編小説なので、片手間に読める作品ではないけれど、男女問わずぜひ一読をおすすめしたい。
読後は、壮絶な人生を駆け巡った主人公・早月葉子と同化してしまったような、不思議な連帯感を覚える。
自分とは対極にある存在であればあるほど、主人公に共鳴と慈しみの情が溢れて止まないのだ。