服部良一/僕の音楽人生
日本のモダンな歌謡曲の創始者、服部良一(1907-1993)のコロムビア在籍時の作品のアンソロジー。淡谷のり子「別れのブルース」(1937年)、渡辺はま子・霧島昇「蘇州夜曲」(1940年)、笠置シヅ子「東京ブギウギ」(1947年)、高峰秀子「銀座カンカン娘」(1949年)、藤山一郎・奈良光枝「青い山脈」(1949年)他収録の3枚組CD
祇園の姉妹 [DVD]
この映画にはこの終わり方しかないです。
これがオトナのエンディング。
私も「あ! ここで終わるのかあ!」とびっくりしましたけれど、これ以上の説明なんて不要でしょ?
あとは観た人が考えればいいことです。
でも女も男も哀しいなあ。
「男に利用されるのはイヤだ! 男は敵だ!」って言い切る「おもちゃ」っていうキャラは、逆に男を利用しようとして結果的に男になっちゃう女性だと思ってます。それってすごい悲劇。
姉の梅吉も男に裏切られるし、男は男でどんどん転落していくし、ほとんど救いってものがないです、ここには。
でも私はこの映画、リアリズムだとは決して思えないなあ。いくら花柳界のお話とはいえ、男女の間にこんな関係しかないんなら、この世は闇。私は溝口監督はこの映画で、敢えて男女関係を残酷に描いたんじゃないのかなあと思ってます。何のために? それはもちろんお話を面白くするために。あくまでもお話ですよ、お話。「人間の本質に迫ろうとしていた」なんていう特典映像の解説は突拍子もない勘違いだって気がします。そもそも人間の「本質」なんてどこにあんのよ。見えないでしょ、そんなの。見えないものは撮れません。「俺は、私は人間の本質に迫ってる」なんてのたまう映画監督がいたとしたら、そんなの間違いなく欺瞞です。ってゆーかとんでもない勘違い? で、この作品での溝口監督は絶対に欺瞞でカメラ回してるわけでもないし、勘違いもしていません。
ところでこの映画、ストーリーがなーんとなくルノワールの『黄金の馬車』に似てるような気がしてしまいました。ひょっとしてルノワールも『祇園の姉妹』観てたのかな?
流れる [DVD]
1950年代、日本映画の黄金期に生まれた“奇跡”ともいえる作品。
宝石のような映画だ。
やはり、文句なく女優たちであろう。
山田五十鈴、田中絹代、杉村春子、高峰秀子、栗島すみ子、中北千枝子
彼女たちが一堂に会していること自体がすでに信じ難いが、その配役も完璧、まさに非の打ち所が無い。
廃れゆく一軒の芸者置屋を舞台に描かれる彼女達の人間模様は、そのどれもが“取り残されていくもの”の哀しみを湛えているが、そこで決して他者を思いやるやさしさは失われない。そうした人としての品格が、女優たちの表情、所作、言葉遣い…、演技の隅々に静かに満ち溢れ、観るものを懐かしい幸福感でつつむ。
この芳醇なカタルシスは映画でしか得られないものだ。
そして、一分の隙も破綻もみせず、この凛とした美しい世界を撮り上げた成瀬巳喜男の才能にも改めて感謝したい。
映画のなかの映画。ほんとうにおすすめです。
観ないと損しますよ。