紅梅
記録小説、歴史小説で独自の道を切り開いた吉村昭氏が亡くなって5年が過ぎた。吉村氏は私が敬愛する作家のひとりである。この作品は、妻であり作家である津村節子氏による吉村氏の最期1年7カ月の記録である。
見つかった舌癌を切除するのだが、次に膵臓癌が発見され吉村氏は次第に体力を失ってゆく。津村氏も作家として多忙な中を「作家である妻なんて最低」と自らを呪いながら看病にいそしむ。途中に夫婦のこれまでの歩みのフラッシュバック―大学の同人誌時代、6畳一間のアパート生活、無名時代の苦しい日々―が挟まれる。また、吉村氏の作品を仕上げるに際しての地を這うような資料の収集、調査の様子が回想される。彼の作品群にはこれほどの緻密な取材活動があったのかと驚いた。
治療の甲斐なく吉村氏は次第に衰弱し、長期戦に備えて自宅療養に切り替える。彼は重篤の病床にあっても書きかけの短編を推敲し、知人の書籍の推薦文を著すなど最後まで彼らしい姿勢を崩そうとしない。そして、いよいよ死期を悟った吉村氏は点滴を拒み、カテーテルを引き抜いて自ら尊厳死を選んだのである。
この作品には感情を抑えた研ぎ澄まされた文章で事実のみが簡潔に記されているが、それが逆に津村氏の押し殺した悲痛な叫びを伝えている。遺された者の慟哭がすぐれた文学に昇華した感銘深い作品である。2011年の日本文学を代表する1冊だと思う。
ふたり旅―生きてきた証しとして
著者の自伝的エッセイであり、夫でありかつ同業の小説家だった吉村昭との二人三脚の人生航路をつづった本。
福井県で織物取引をしていた北原家の二女として生まれ(三人姉妹)、生来虚弱であったが、書くことと小説を読むことが好きだった幼年時代。母、父、祖母を次々失い、人の死を間近に感じ続けた。時代は急速に軍国主義の暗黒時代へ。戦時中の女学校生活、勤労動員で働いていた軍需工場、小林理学研究所(国分寺)での勤務、基地化した疎開先での経験(入間川)、自立をめざして通ったドレメ女学院と洋裁店の経営、そして向学の志消えず女子学習院への入学と学生としての文学活動。ここまで人生の前半とするなら、後半は学習院での吉村昭との文学的邂逅から死別まで。
結婚後、小説だけを書いて生きることが難しいなか、東北、北海道への行商生活。転居が続く苦しい生活のなかで小説を書き続け、道をもとめてひたむきに生きるふたりは徐々にその世界で認められるようになり、その後それぞれ押しも押されもせぬ小説家となり、人生を全うする。そして、不意の夫との別れ。
本書は人生「二人旅」の結晶である。エッセイなので多くのエピソードが挿入されていて興味深い。また、著者の小説は「智恵子飛ぶ」しか読んでいないが、「玩具」「茜色の戦記」「瑠璃色の石」「石の蝶」など読みたいと思う。著者は作品を書く際、歴史的事実、背景を踏まえながらフィクションを盛り込むを自身の作法について次ように述べている。「吉村はこれらの作品を歴史小説とは言うまいが、私の場合歴史上の人物の実名を使ってフィクションを書く歴史小説とは違う。あくまでも歴史の調査には徹しながら、その時代を背景に生きた無名の人々を書いている」と(p.195)。
遍路みち
吉村昭氏のエッセイは何冊も読んでいるが、氏の最後の時のことは当然どの本にも書かれていない。
この本のなかには吉村氏の見事といえる最後の姿が書かれているので
私のように津村節子さんには興味0の人でも、吉村ファンならば十分読む価値がある本だといえる。
・夫婦はお互いの著作は読まないようにしていた。
・津村さんがどこかから帰宅するときは、吉村氏が必ず向かえに出ていた
・温泉街に別荘的なマンションを持っていた。
など、これまで知らなかった情報も書かれていた。