最後の遣唐使 (講談社学術文庫)
講談社現代新書の一冊として三十年近く前に出されたが、この度学術文庫の一冊として復帰。
実際に出航した十六回の遣唐使では最後の、承和度の遣唐使。承和三年(836)、翌四年と二度にわたって渡海に失敗し、さらに大使藤原常嗣とのいざこざで副使小野篁が乗船を拒否、五年になってやっと、いつもより一艘少ない三艘の船団で副使不在のまま出航した。大使が翌年に帰国して以降、日本は公式な使節を大陸へ派遣せず、寛平六年(894)菅原道真の建議による正式な廃止に至るのである。
山門の開祖円仁の入唐をもたらした遣唐使であることは周知の通りだが、万巻の経典とともに海の藻屑と消えた円載のような留学生(僧)それに船員の悲劇は、現代に生きる私たちの想像を絶する凄惨なものに違いない。尽きぬ苦難と多大な犠牲にもかかわらず、なぜ派遣は強行されたか。何故、これを最後に(中世まで)国家による外交使節は大陸へ派遣されなかったか。この度の遣唐使が歴史に果たした役割は何か。『続日本後紀』『入唐求法巡礼行記』に描かれた軌跡を追い、「最後の遣唐使」が「最後の遣唐使」となったゆえを解き明かす。
交通の発達が地球を小さくし、いつでもどこでも気ままに飛べる世になったが、その昔、命を賭けて壮大な夢を追い求めた人々がいたことを、決して忘れるべきでないと思う。
遣唐使 (岩波新書)
遣隋使と遣唐使は、日本と中国の関係を深めるための大事な鍵を握っている。
文化と経済の要である。
遣隋使と遣唐使の詳細を追いかけていって、中国と日本の文化を解剖していくと、
今後の中国と日本の友好関係の絆が見つかるかもしれない。