ジーキルとハイドという人物の関係についての謎を書いたミステリーであり、殺人や薬による変容の恐怖を描いたホラー。解説は東雅夫氏。
予想外に短い。だが、一番予想外だったのはハイド氏が小柄で、外見もまったくジーキル氏と違う、というところである。舞台や映画では一人二役で演ずるイメージがある。ジーキルとハイドが「一人の人物」であることを強調する演出としてはそれが最適だったのだろう。そしてそのイメージが定着したのだ。しかし、考えてみれば一人二役で外見に共通性が残っているよりも、外見も変わってしまう方が「根源的な改変」の怖さが強い気がする。小柄なハイド氏が背の高いジーキル博士の服の袖や裾を捲り上げてきている姿は滑稽でもあるが。
短いが、細かな描写がとても丁寧である。明るい表玄関と、窓もない裏口側という建物は、解剖医ジョン・ハンターの家がモデルなのだそうだが、確かに実在した家屋の構造を知らないと描けないようなところもたくみに利用されている。ジーキルとハイドの行動が無理なく説明できるのである。
後半の、謎解きとなるジーキル博士の手紙の部分がかなり長いが、ここの描写も丁寧で、前半の不可解な人物の与える怖さとはまた違う怖さである。薬で自分の「快楽を追求する」部分を分離して楽しむうち、薬の量を増やさないと聞かなくなる、無意識に人格が変わっていることがおき始める。どこやら「麻薬」の症状を描いているような怖さでもある。著者は薬もかなりよく知っていたのだろう。
上質な恐怖推理小説として、やはり一読の価値はあると思った。もっとも「謎解き」の部分については、ジキルとハイドの関係はあまりにも知られてしまったので、出版当時の読者のように楽しむというわけには行かないのが残念かもしれないが。
ちなみに、翻訳者の解説によると最近は「ジキル」ではなく、日本語では「ジーキル」と表記されることが一般的だそうである。
1932年と1941年の二つの作品が楽しめる。両方とも白黒で今から見ると9年の違いにかかわらずどっちもかなり古い映像なのだけれど、見比べる面白さはある。
基本的なストーリーは、ちょっと変わった科学者が、人間の悪の部分を強調させてしまう薬を開発。悪の部分を出現させるだけでなく、見た目もぜんぜん変わってしまう。
若いロンドン紳士と美しいレディの平和な結婚話から始まって事態はどんどんとエスカレートしていき、最後のアクションと悲劇へと展開していくという非常に見世物的要素の強い映画。当時の女性観客がまゆをひそめながら驚きの声をあげる様子が想像できる。
紳士としてのしがらみに抑圧され、たまにはあばずれ女とはめをはずしたいという気持ちが背景にあり、これの映画を見ている一般庶民は、「紳士ってやつも退屈だ。一般庶民が気楽でいいや」とさぞかし思ったことだろう。そんなところにこの作品の人気の秘密があるのかもしれない。
さて、僕がこの映画を見た理由は、ほかでもないイングリッド・バーグマンが汚れ役をやっているからである。裸にされ、馬車の馬にされて、鞭うたれるという(想像のシーンだけだが)、とんでもない役だ。ところが、彼女は、あばずれ女を演じるには品がよすぎたようで、32年の作品の女優のほうが役としてははまっている。
比較の話でいうと、ハイド氏も32年のほうが、猿の化け物のようでコワ面白い。41年のハイドは特に見た感じ化け物という感じはない。
ジキル博士とハイド氏といえば、もう二重人格の代名詞にまでなっているが、数々の小説や映画などにパロディとして取り上げられたり、各国のクリエーター達に多大な影響を与えたりした筋金入りの名作でもある。 優秀な弁護士アタスンの親友である医学博士兼、教会法博士兼、法学博士兼、王立協会会員のヘンリー・ジキルと、そのジキルに擁護されている醜怪で誰もが嫌悪感を覚えるような容貌のエドーワード・ハイド。弁護士アタスンは友人ジキルから自分が死亡および三ヶ月以上に及ぶ失踪の場合に、その遺産を全てハイドに委譲するという奇妙な遺言書を受け取って、不審に思う。ハイドとは何者か? また友人ジキルとはどういう関係なのか? そのような疑問のなか物語は展開していく。訳もGOOD。しかも表紙もカッコイイ! これは是非買って読むべきでしょう。
ホラーはトーキー初期の創設期が一番興味深いので、うれしいDVD。 主演のフレデリック・マーチは「我らの生涯の最良の年」という大昔の名画で私の好きな男優。監督のルーベン・マムーリアンは「今晩は愛して頂戴ナ」テナ変な邦題の映画があるが、純朴な人間を見事に描いて、この時代の暖かさを感じさせる名監督。 ジキ・ハイはこののち「変貌」に主眼を置くモンスターものに成り下がるが、このDVDが示すように、実際は、多くの男性が深層心理に持つ、女性に対する非人間的な残酷性がテーマ。 古今東西、SMものが売れるということは、日常は理性に隠されてはいるが、「男性の本性は女性に対するサディズム」ということを示している。 あなたもジキルであり、ハイドなのです。
クラシックであるにも関わらず表現豊かで ありながら静寂を保つ雰囲気がとても緊迫感 をだしていて読みながら常にドキドキする 感じがあります。自分の中の善と悪をわける ことに成功してしまったジキル博士は欲望に 負け己の許す限りの罪をハイド氏として犯して しまう。単に多重人格ではなく容姿も全く 変わってしまう変身ぶりがこの物語の少し ワクワクするところです。場面ではなく手紙 で自分の死を我々読者に伝えて静かに結末を むかえるのも綺麗にしめくくられていて私は 気に入りました。
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