第一子の早すぎる死による絶望感と、第二子の誕生による生に対する喜びという対照的な経験が、主人公の父親に対する姿勢の変化と時を同じくしている。前者の経験が父を始めとする家の者全てに対する憎悪を高めたのであり、逆に後者の経験によって「自分には何か感謝したい気が起った」(69頁)のだった。 言うまでもなく本書の中心テーマは父子間の反目と和解だが、第一子が死に至るまでの過程の生々しい描写は、同じ年頃の子供を持つ親なら涙なしには読むことができない。また、絶望感に苛まれた時に、周りにいて気遣ってくれる親友たちの存在は、この主人公に限らず生の喜びを支える重要な要素となるものだろう。
既に新潮、角川の各文庫で志賀直哉の(初期)短篇集は読んでいたが、昨年末の城崎旅行を機に、「作者自選の短篇集」というこの岩波文庫版を読んでみた。
やはり収録作の中では「城の崎にて」と「正義派」が群を抜いている。名作の誉れ高い「小僧の神様」や「清兵衛と瓢箪」は、初めて読んだ高校生の頃は文章も上手で筋も面白く、正に名人芸だと感心したが、今回読んでみると、どうも作為が勝ち過ぎていて、それ程の名作だとは感じられなかった。
残念なことに本書にはあの名作「網走まで」が収録されておらず、「自選短篇集」が必ずしも「ベスト短篇集」とは限らないことを痛感した。
巻末に付された志賀直哉自身による「あとがき」は収録作執筆の背景が簡潔にまとめられており、一読に値する。他方その後にある別人の「解説」一人合点をクドクドと書き連ねたものであらでもがな。
島崎藤村の「破戒」は、明治39年に自費出版されました。 全国水平社の結成が大正11年ですから、部落問題を真正面から 見据えた「破戒」の先駆性は明らかです。 昭和14年に「破戒」の改定本が出版されました。島崎藤村と 全国水平社との協議による改定でした。 「破戒」の差別的表現を訂正したとのことです。 確かに初版「破戒」には、種々の差別的表現がありました。 「穢多、非人、かたわ、気狂い」等の。 しかし、それを訂正すると、かえって、部落差別を糾弾する 作品のインパクトが明らかに低下してしまい、改悪でした。 そして、昭和28年、初版本が復原されます。 しかし、部落解放同盟は、 1.何の解説もない、単なる初版本の復元はおかしい 2.部落民と解放運動を考慮してほしい というものでした。 「破戒」には、確かに「差別的要素」は、あると思います。 ・差別用語 ・丑松が、穢多だということを隠していたことを、土下座して 謝る。アメリカへと旅立つ=逃避 ・解放運動家の猪子連太郎の台詞:「いくら我々が無智な卑賤 しいものだからと言って」の問題点 しかし、まあそれは、何というか、無いものねだりという気がしてなりません。 まだ、部落解放同盟はおろか、全国水平社すら無かった時代のことですからね。 時代的制約というものが、時代的限界性というものが確かにあるでしょうね。 むしろ、その先駆性をこそ賞賛すべきだと思われてなりません。
事実上の処女作である「網走まで」を筆頭に、この本には、日本近代文学史の上に大きな足跡を残した志賀直哉の初期代表作が納められている。表題作にある「清兵衛と瓢箪」では、主人公である清兵衛の、無知ともいえるひたむきさと、陽性な諦めを簡潔な文体で描き、読後に心が動かされる。志賀直哉の文体の持つある種の透明感と、描写対象を浮き彫りにする表現は、既に彼の最も初期の段階から完成されていて、後の作品に引けを取ること無く青年期の彼の倫理的なものの見方をあらわしているといえる。「小説の神様」と呼ばれた彼の文学に、素直に入り込んでゆける一冊。
近年話題になった映画『おくりびと』を出発点に、歴史をさかのぼって、ここ100年ほどのわが国の死生観言説をひもとき、比較的満遍なく紹介した本。
私どもの世代が中等教育の国語教科書で必ず学ばされた志賀直哉の『城の崎にて』や、家族社会学などを勉強すると定番の参考文献として挙げられていた柳田國男の『先祖の話』などは、当然出てくる。近代的知識人の典型として、常民的な「死後の世界」を信じることはできなかった者が、ガン告知を受けて、残る時間のあいだに、迫り来る死とどう対決したかの例としてよく引かれる高見順の日記もだ。
ただ、この著者ならではの独特の比重の置き方もある。宗教学者の岸本英夫をことさら取り上げているのは、この人が著者のお師匠さんのお師匠さん、すなわち学統的先祖であるという縁によるものだろうし、『戦艦大和ノ最期』の吉田満の言説を主著以外の多くの著作にまで立ち入って調べたのは、著者と学統は異なるが重複的研究分野をもつ森岡清美の影響であろう。
ところで、ちょっと脱線するが、つぎの新聞記事を読んでいただきたい。 「地域の人々との関係性が薄れ、家族のきずなに頼りを見いだし過ぎている現代において、被害者のご遺族が、加害者が死刑にならないと被害者が浮かばれないと考え気持ちが治まらないのは、死者の魂の安らぎは生きている人間の在り方次第で決まるという先祖教の宗教心に根ざしている。 仏教では死者を安らぎの境地へ導くのは仏さまの慈悲心であり、加害者が死刑にならないと被害者が浮かばれないわけではない。人は、因縁が整えば何を仕出かすか、どんな目に遭うか分からない哀しい生き物である。この世では時として不条理に出合うからこそ、宗教は必要とされてきたのだ。死刑容認の世論の動向に接し、一切の人々を成仏へと導く仏の慈悲を説かず、死者供養に明け暮れてきた僧侶の責任を痛感している。」(梶田真章、『毎日新聞』2010年2月15日「新聞時評」)
折しも光市母子殺害事件の最高裁死刑判決が出た直後に、本書を読んだ者として、「ないものねだり」であることは重々承知しつつも、「死生観を論じるなら、犯罪被害者遺族の死生観にも言及してほしかった」と、ひとこと言いたくなった。
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