著者の本は初めて読む。「SFユーモアー作家が絶滅危惧種を世界中に見に行く」という本という前提知識だけで軽く読み始めたのだが、まず、リチャード・ドールキンス(「利己的な遺伝子」のドールキンスである)が序文を書いているのは驚いた。ノーベル賞学者が序文を書いているからどうというわけではないが、この段階で学術的にも「まとも」であると先入観を持ってしまった。
その先入観は正しかった。
20年以上前に書かれた本書が未だに読み継がれているのは、まず、面白いこと、次に、内容がしっかりしており、事実関係は変化しても、筆者の考え方自体はまったく古びていないことが挙げられる。訳注に原書が書かれた後の状況がフォローされているが基本的に変わっていない。
本書はイギリス的ユーモアーがそこかしこにちりばめられている。例えば、
・ザイールへキタシロサイを見に行く時、伝道団の飛行機で行くこととなった。離陸時に、パイロットが「おお主よ、わたしたちの命を御手に預けます」とアナウンス。筆者たちは関節が白くなるほど拳を握りしめていた。評者は自分が同じ状況だったたら同じように緊張しただろうが、笑ってしまった
・揚子江でヨウスコウイルカを見にいった時、河の中の水音を拾うため、マイクにコンドームを被せる必要がでてきた。20年以上前の中国である。話が通じない。やっと相手が理解したと思ったら、怪しげな錠剤が出てきた。笑った。
もちろん、扱われる動物たちの状況は深刻で、BBCのお墨付きがなければ、近づくことも許されないようなところもあっただろう(例えばニュージーランドのカボカ。この飛べない、「敵」という概念をもたない鳥は、評者の一番のお気に入りである)。筆者達はただ見るだけなのだから。けれど、メディアにのることで、現地の政府の考え方が変わったり、寄付が集まったり、世界中の人が認識を変えたり、プラスの面もある。
筆者の文が過度に同情的でなく、深刻でないところも良い。
これら、絶滅危惧種が「絶滅」に瀕する原因が人類にあるのは確かだ。世界で数十匹しかいない動物を保護するのも当然といえば当然だろう。
ただ、やり切れない例がひとつ(ひとつだけではないが)。前述のカポカはニュージーランドのコッドフィッシュ島に住んでいた。人間が連れてきた猫が野生化し、カポカをどんどん食べって言った。そこで人間は猫を片っ端から殺しまくり、カポカは猫のいない別の島に移送することになった。猫もカポカも哀れだ。しかし、他に方法が無いのだ。
絶滅危惧種を保護する事に対し、種の保存は貴重な遺伝資源を絶やすことになる、生態系の破壊につながる等の「正論」的理由付けに、無論、評者は反対ではない。
しかし、評者は筆者と同行した動物学者マークの言葉の方がしっくりくる。
「単純な理由----かれらがいなくなったら、世界はそれだけ貧しく、暗く、寂しい場所になってしまうからなのである」
生物多様性の本はいくつか読みましたが、本書は「生物多様性とは?」という基本を押さえつつ、生態系の現状、これまでの国際的な議論の流れや日本政府の取り組み、そしてビジネスと日常生活の両面とのつながりについて、広い視点でバランスよく示していると思います。決して専門的すぎたり難しいわけではなく、かつ表面的ではない深くつっこんだ話も展開されていて、読み応えがありました。ほぼ毎見開きに図版やイラストがある点も読みやすかったです。 おもしろいなと思ったのは、スローフードといった新しい食のあり方や、半農半Xなど農にまつわる最近のトレンドとの関係に触れている点。名古屋のCOP10のときは、経済的価値の話ばかりが報道されることに違和感がありましたが、生活者として生物多様性と自分の暮らしの関係について、なるほどなと思うところがいくつもありました。 一方でビジネスの上でも、生物多様性に取り組むことが、世界ではいかに当たり前になっているのか、日本企業ではどんな取り組みが始まっているのか、いろいろな事例で示されていて、業界を問わず役立つ内容だと思います。 著者は『成長の限界』の訳者だけあって、最後に「生態系を壊さない成長のあり方」について触れています。「このままではまずい」と警鐘を鳴らしつつ、「ではどうすればいいか」が示されているので、頭で理解するだけではなく行動に移すヒントになる本だと思います。
まず、本書のタイトル中にある「神話」という言葉が的を得ています。人為地球温暖化論は、(1)始めから結論ありき、(2)人間との絡みで展開している、(3)聞く耳を持たない、というところが科学というより宗教的であり、まさに「神話」言われる所以と思われます。
とは言え、「神話」を告発する本書が同じレベルの批判では説得力を失いますが、本書は多角面から「地球温暖化」の「捜査」を行っています。
始めに調査されるのが人為温暖化論で「黒」と判断されたco2であり、悪い噂と善行録を述べています。気象関係者では捜査が及ばなかった植物、食料への「善行録」では、光合成を専門とされる渡辺先生の深い知識と研究成果が読み取れます。
次に「地球温暖化」は本当か?という調査の核心に入り、地球温暖化と都市化の混同を指摘していきます。さらに人為のco2の影響の無い産業革命以前の中世温暖化と14〜19世紀の小氷期の実態に迫り、これらを無視した産業革命以降の20世紀を中心とした人為温暖化論の矛盾を突いています。
クライメートゲート事件でわかったIPCCのデータの捏造とその体質から、「IPCCは解体せよ」と告発の度合いが強まりますが、私自身はそこまで言わなくてもと思いますが、著者の強い憤りを感じます。
co2を悪者にして盛んになった「再生可能エネルギー」の開発についても意見が述べられており、風力発電、太陽光発電を例に数字をあげて示した問題点は開発者には是非聞いてもらいたいものです。
ただ、本著の「温室効果と温暖化」中の33℃の温室効果の記述に、下記のような説明が無いのが気象予報士の端くれとして気になりました。 (1)太陽からもらうエネルギー量=地球が宇宙へ放出するエネルギー量であること(放射平衡)、(2)「温室効果」と言われている放射平衡温度より地表温度が33℃高いのは、放射平衡の高度が地球大気のほぼ中心高さ(約5500m上空)で、地表は対流による断熱圧縮で高温になる(5.5kmに湿潤断熱減率6℃/1kmをかけて33℃、地上との温度差が増えると対流が生じてまたこの温度差となる)こと、(3)この地表の高温を保つのが温室効果(絶対温度の4乗に比例して放射冷却量が増えるので地表からの放射は宇宙へ返す量以上となる。そのため宇宙へ放出する量を超える分は上空から地表への大気放射で補う)。この温室効果は既にほぼ飽和しており、温室効果ガスが増えても効果は変わらない。
この間違った「地球温暖化」対策に20兆円の大金を日本がつぎ込んでいたことには大変驚き、失望しました。これは東日本大震災の復興費用に相当する額でもあり、1000兆円の長期債務と消費増税の議論が進む中、一刻も早いこの問題に対する方針転換が必要と思います。
東大生研の渡辺先生という「権威」が書かれた著により、日本のマスコミや政治がこの問題に対して目を覚ましていただくことを強く希望するものです。
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