『あらくれ』です。日本自然主義文学の代表作的位置づけだそうですが。 そういう難しいことは分からなくても、現代における月九のドラマを観るような感覚で楽しめると思います。
年頃のきれいな娘であるお島が主人公。結婚の日に飛び出して、自由だけど険しい道無き道へと走り出します。 あまり人間関係に恵まれない環境、仕事、結婚などを通して、当時の庶民女性の生き様、を活き活きと描いています。親の言いなりで結婚して終わりというのが普通であるはずの当時の女性としては、かなり激動の半生だと思いますが。
お島は頑張りますが、必ずしも全てが上手く行くわけではありません。学も無いですし、なんだかんだいって男に振り回されたりすることもあるし、自己責任もあるし…… でも失敗しても負けずに強く生きていくお島のさまは、現代のドラマで描かれているヒロインと同様で、時代を選ばぬ普遍を秘めているようです。
文章は、昔の文豪らしく、読みやすくありながら語彙も豊富で厚い描写で楽しませてくれます。上記の通り内容も波瀾万丈なので、エンターテインメント的に面白い作品です。
硯友社時代からの息の長い秋声の枯れた文業(この際代作問題など関係ない)。 笹村とお銀の別れそうでなかなか別れられない、男女の機微、 諦観あふれる筆致があじわえればこの作品は忘れられない思い出になるでしょう。 でも書評子の一押しは未完に終わりましたが「縮図」かな。
貧困に喘ぐ家族を救うために花柳界に身を投じた銀子の来歴を軸に、彼女の家族、花柳界を去来する人々が丹念に描かれています。家族や時勢の影響から逃れられない人々の悲哀を、作家は個人を巡る情況や時代の趨勢を交えて描いていきます。作家の叙述の根底にあるものは市井に生きる人々の人間性の全たる肯定の視線であり、それは芸者に身を窶した女達であれ花柳界を去来する男達であれ、全ての人々に分け隔てなく注がれています。作家のこのような儀態は優れた小説家に通底しているもので、それは近代の作家にも現代の作家にも、戦時下の作家にも平時の作家にも共通して見られるものです。丁寧な描写によって人々の生きる姿と心情を浮かび上がらせたこの小説は、モラリストによる自然主義文学の佳作と呼ぶに相応しい作品でしょう。 しかし、私が現代に生きるためでもあるでしょうか、諸手を挙げてこの作品を賛嘆することは躊躇われてしまうのです。人間性に対する作家の肯定の意に敬意を表し、描写の技術を賛嘆することに吝かではないのですが、何か勃興の収斂といったような念を禁じ得ないのです。それはおそらく、傑出した作家が鮮やかに描き出す、人間存在の深層における揺動といったものの欠如に因るのでしょう。それは時代背景や趨勢といった外的要因が個人に及ぼす避け得ない影響に因むところが大なのでしょうが、強ちそればかりとも言えません。同時代を生きて同じく花柳界に想を得た永井荷風や樋口一葉が、文章の強度と語彙の的確によって、行間も含めた作品全体から人間存在の深層ともいうべき相を立ち昇らせていることに思いを致さざるを得ません。 とは言え、この作品の文学史における意義は肯定されて然るべきであり、文芸を言語表現による芸能と捉えるならば、その心情、意志そして技術において賞賛されるべき作品であることに異論を唱えるべきではないのでしょう。
大きな文字で書かれており、読み仮名もふってあるので、十分楽しめます。夏目漱石さんの小説も収録されているのでよいです。
文庫本の帯のコピーには「逞しい女の生々しい官能/自然主義文学の傑作!」と書かれています。 主人公の女性「お島」は、肉付きが良く働き者で、口八丁手八丁の商売人気質の、まさに「逞しい」女性。 ストーリーは、簡単に言うと、「お島」が何とか事業(洋服店)を成功させようとして苦労する、というようなお話なのですが、とにかくころころ境遇が変化するのが特徴です。 夫、仕事、住む所、経済状態、などなどが、激しく移り変わっていき、人物の心理などはあまり深く書き込まれることはありません。 この作品は、読売新聞に半年にわたって連載されたそうですが、こんなに毎回主人公があっちに行ったりこっちに行ったりしていたら、一日読み逃した人はもうストーリーに付いていけなくなったかも。 一章が二頁ずつくらいの短さですので、細切れにしか読書の時間が取れない方に、おすすめの一冊です。
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