全編に漂うのは最初は緩い不快感だと思ったが、今にして思えば緩慢な死臭だったとわかる。 「意の償い(『新潮』2007年4月号)」 子供を持つのが怖い、より正確には親になるのが怖い、裕福ではない家庭の夫の目視点の出産直前に至るまでのお話。両親が家事で焼け死んでいる最中に妻と初セックスをしていて表題になる。普通はそんな程度でトラウマになるとも思えないが、語り手の妄想がそれを納得させる辺りが巧み。客観と主観を混乱させる手法で書かれているので時々描写の主体がわからなくなって読み辛いが、それも味。 「蛹(『新潮』2007年8月号)」 成虫に成れなかったかぶと虫の幼虫の寓話。角だけが立派に伸びて土の上に出ている。ちゃねらーの妄想を文学的に昇華させると。こうなるかも…… 遡ればカフカの変身に辿り着くのだろうが、類例が思いつけない辺りが凄いんだろうな。 「切れた鎖(『新潮』2007年12月号)」 作家出身の山口の寂れたコンクリートの海浜の町が舞台。絡むのは没落した資産家の三代の妻(出奔など、いずれも夫に恵まれない)と在日朝鮮人のカトリック教会に住む謎の男。腹に鎖を巻いてその先をコンクリートの道に垂らしてじゃらじゃらいわせているので帯電体質かと思って笑ったのは、わたしだけか…… 女の側の描写を縦走させて最後に父の不在を垣間見させる辺りが上手い。
芥川賞候補作にもなった表題作『図書準備室』、そして新潮新人賞受賞の
デビュー作『冷たい水の羊』の二つが収録されたこの本自体の総合評価と
しては☆3つですが、表題作の『図書準備室』だけだったら☆5つです。
『冷たい水の羊』だけの評価だと☆2つでしょうか。
『図書準備室』は第136回芥川賞候補になりましたが、まったく相手に
されず落選しました。この作品を評価し、推した選考委員は池澤夏樹さん
ただ一人だけでした。山田詠美さんも読み始めた最初の感触では「推して
もいいかな」と思ったそうですが、鶏小屋のエピソード以降を評価するこ
とができないとしていましたが、僕にはそれだけ魅力的な作品だったから
そういう意見も出たのではないかと思います。
この『図書準備室』という小説は、徹底的に主人公の「言い訳」によって
成り立っている小説です。喋る、喋る、最初から最後まで延々と主人公は
あーだこーだと喋り続けます。しかもその内容が凄まじい。これはぜひ読
んでください。本当に凄まじいですから。
そして、最後に置かれている脱力系のオチ。饒舌文体で衝撃的なエピソード
が並べられる中で最後の最後に訪れるオチには笑わせられました。読んでいる
途中はそこまで評価していませんでしたが、読み終わってからは最高に面白い
小説だと思うに至りました。いやあ、あのオチはいいなぁ。でも、このオチ
がなんなのか知っただけでは面白くないんです。あーだこーだと主人公の饒舌
な「言い訳」に付き合ってこそ最後の最後で脱力と笑いをもたらしてくれます。
この小説に芥川賞をとってほしかったですね。
もう一つの収録作『冷たい水の羊』は、作者の新潮新人賞を受賞したデビュー
作です。空気感だけで言えば『図書準備室』に通じるところもありますが、
全体としてはあまり面白くありません。ただ、この作品を読んでから『図書
準備室』を読むと、あきらかなレベルアップを感じることかできて、興味深い
です。
田中慎弥さんには期待です。
話題の本ということで読み始めたんですが。
「共喰い」と「第三紀層の魚」の2編のうち、共喰いのほうは自分の思春期の頃を思い出しながら、どことなく居心地の悪い思いを抱きながら読み進めましたが、短い小説ということもあり、ぐいぐいと惹き込まれながら一気に読み終わりました。すごく難しい純文学かと思ったら、案外速い展開でエンターテイメント小説?みたいに読みました。
「第三紀層の魚」のほうが自分的にはヒットでした。こっちはまだ小さい私の子ども(5才児ですが)が、もう少しお兄ちゃんになったときのことを想像しながら読みました。ラストに近づくにつれ、自分の子どもと重ねていたせいか、涙が止まりませんでした。涙が出るようなお話ではないんですけどね。少年のけなげさと優しさ、母親の子を思う気持ちが……と思い出すだけでも目がウルッとなります。私にとってはとても大事な作品になりました。
他のレビューでも書かれていましたが、女性、特に母親やこれから母親になる人が読むといいんじゃないでしょうか。
今号の目玉は円城塔氏の『道化師の蝶』田中慎弥氏の『共食い』芥川賞2作の全文掲載である。 しかし個人的には円城塔氏の作は観念的過ぎ、田中慎弥氏の作は汚穢過ぎて僕の趣味には合わない。 しかも既に読んでいる。選評は面白いがこの選者の中にはわたしの心酔する作家がひとりもいない。
「テレビの伝説」は大型企画と銘打って長寿番組の秘密に迫るのが企画意図。 しかし長寿番組は弊害のみ多く、老害議員と同じと判断せざるをえない。2期勤めたら引退させれば、 テレビも良くなるのではないか。なかで一つ、タモリに対する論考だけが、 これまで言われ続けていることとはいえ、光る。タモリはテレビを自己批判するテレビ芸人なのである。 ずるくて上手い立ち位置を見つけたものだ。
今号の白眉は「日本の自殺」と題する1975年(昭和50年)に、文藝春秋誌に掲載された論文の採録。 アメリカからもらった民主主義の現在における腐敗ぶりを「擬似民主主義」と呼んで見事に予測している。 曰く ・「信ぜよさらば救われん」というプロパガンダに侵されて、考えなくなった民衆。 ・誤った多数決万能主義。これはヒトラーを生んだ全体主義にほかならない。 ・権利のみを主張し責任も義務を負わない民衆。 ・批判と反対のみで建設的意見、建設的提案能力に欠ける議会。 ・エリート否定、大衆迎合。 ・コスト的観点の欠如。
まるで中学校の学級会で話し合ったことみたいなことには、なっているけれど。 こうした「擬似民主主義」が日本という文明自体を「自死」に追い込むと論文は主張している。
不思議な触り心地のする、黒と黄が印象的なカバー。装釘もどことなく妖しく美しい本文を想像させる。
本書は田中慎弥氏が毎日新聞西部本社版に2008年から2012年の1月まで連載していた掌編小説を編んだ物である。 新聞連載のため、時事を取り込んだ作品も多い。 例えば《扉の向こうの革命》《感謝》などは震災を取り扱い、《男たち》では作者曰く『当時の政治状況を拝借』して氏が芥川賞のスピーチで言及した都知事や、乱読した作家たちが時代を超えて雑談に勤しむ姿が描かれる。《客の男》には当時プロ入り後間もなかったであろう、例の「王子」と思しき人物も登場する。
『共喰い』に見られる地方色の強い濁ったストーリーが特徴的だと思われる作家だが、この本では様々なモチーフから物語を創り出していく氏の姿勢を感じ、新たな魅力に触れることが出来るのではないだろうか。
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