樋口氏の作品を読むのは4作目になる。緻密な描写は無駄がなく、なおかつ氏独特の迫力があり、それを読むだけでも1900円を支出する価値はある。しかし、この「光の山脈」はそれだけの本ではない。 社会派小説とも呼べるだろう。産廃行政の問題、人が人を私的に制裁することの是非、封建的な地方の因習とそれにかみあわないよそ者との確執。南アルプスの山麓に居を構えて自ら日々体験しているであろう、そうした問題提起は執拗で、氏の執念が感じられる。 しかし、その重さを吹き飛ばす純粋な空気と爽快感が全編を貫いている。悪者を良い者がやっつけるという単純なストーリーと甲府駒ヶ岳のキーンと冷えて澄んだ空気が、ストレートに読者の心臓にたたき込まれる。 読んだ後に、1人山に登りたくなった。そう、氏の冒険小説はいつもそうなのだ。どこか知らない山に、1人で登りに行きたくなる、すぐれた冒険小説というのは、そうやって男の冒険心を揺さぶるものだ。
山岳小説、冒険小説、青春小説、そして犬小説。これらの要素をすべて兼ね備えた一冊。南アルプスの北岳を舞台に人と犬が織りなす人命救助の物語。
東日本大震災の被災地に入り、相棒の犬とともに救助活動に加わった経験を持つ主人公。そこで受けた衝撃がいまも彼女の心を押しつぶしている。「この世に神はいない」そう思わなければ乗り越えることができない経験をした彼女の心を山と仲間、犬たちが救う。遭難者を救う立場にいる人間がいつの間にか山に救われている。そこが本書の読みどころではないだろうか。
物語が終盤にさしかかるとき、なぜだか涙があふれた。それは本書が私の心の中にもある消せないなにかを洗い流してくれたからかも知れない。読後は爽やかな気持ちになれた。
ネット上の集団自殺の呼びかけに集まった、五人の見知らぬ老若男女。ある者は酒に逃げ、 ある者はセコな横領に手を染め、ある者は自分の夢から目を逸らし。主体性のない人々だ。 その五人がそろそろ一緒に死んじゃいましょうか、の瞬間に、とんでもない事件に巻き込 まれる。あとはもうノンストップのジェットコースター。間抜けなインテリヤクザとひた すら凶悪な警察との、三つどもえのトム&ジェリーレースが始まる。死んでるヒマなんか なくなってしまうのである。
くたばり損ないの五人は、はじめはわけもわからぬままに、やがてはっきりと自分たちの 意思で、進む道を選び、仲間を集め、そして''空を跳ぶ。追い詰められてもうダメだとなっ たとき、ここぞという場面で発揮されて局面を打開する、五人の隠された特技が痛快だ。 山田風太郎の忍法ものもかくや。
ハリウッド並みのカーチェイスをかまして神奈川県警をぶっちぎった後に、五人のうちの 一人が叫ぶ。「冗談でタクシー運転手ができるかっ」。この人は酒で身を滅ぼした元運ち ゃん。言っていることはよく分からないが(アル中だし)、まあとにかく行け行け大興奮。 途中でからんでくるミニFM局の美しき女性パーソナリティと、少々勘違いしている地元住 民の熱狂的な支持も受け、事態はさらに混沌として激化。一瞬の緩みもないままに、感動 あふれる大団円へと一直線に突っ込んでゆく。
樋口作品の中では『WAT16』『武装酒場』『武装酒場の逆襲』に連なる活劇スラップステ ィック系であるが、本作品の深みはそれらを凌ぐ。とかくダルで後ろ向きな昨今の社会風 潮への疑問を織り交ぜつつ、とことんポジティブな視線が全編に通底して輝く。「いつか どこかでかならず君がヒーローになる日がくる。だから死ぬな。生きろ。」という作家の メッセージが伝わってくる。いわんや、くたばり損ないをや。これは冒険と再生の物語で ある。
本作と同時期に、樋口明雄の作家生活初めてのエッセイ集『目の前にシカの鼻息』が出て いる。妙なタイトルだが、大藪賞受賞作品『約束の地』を産み出した作家の人となりがよ くあらわれていて面白い。基本的にくそまじめな作家らしく、自身の登山遍歴、ログハウ スでの愛犬と家族との日々の暮らし、人と自然の本来あるべき関係性などを真摯に語りつ つ、笑いを忘れずにたのしく読ませる。ドタバタ活劇から本格山岳小説まで樋口明雄の筆 の興味の向く幅は広い。大藪賞受賞以降もその志向性に変わりがない。そこがいい。
『頭弾』『狼叫』につづく中国ウエスタン小説(個人的には〈満州ウエスタン〉と呼びたい)三部作の完結編である。
もともと半端ない西部劇マニアな樋口明雄が手がけた渾身の「馬賊もの」。このテーマを長編シリーズで手がけている 作家はほかにいないと思う。まったくこの作家は、歌舞伎町の裏通りで泥を吸い、中央線阿佐ヶ谷の飲屋街を酩酊して 這いずったかと思うと、北アルプスは氷雪の標高3000メートル地帯をさまよい、かとおもえばヤマメ・イワナが泳ぐ 清冽な渓流を遡行してシカの鼻息に吹かれ、父と娘の甘酢っぱい相克でほろりとさせては、返す刀で荒涼とした満州 事変後の大陸砂漠を馬で駆け巡る。選ぶ舞台の幅があるというにもほどがある。読者は追いかけるのがたいへん。
さて『竜虎』の物語はというと、まず主人公は、天駆ける銀馬を操る抗日女馬賊の柴火(さいかと読む。あらゆる武道 に天賦の才を持つ)。この超絶美少女が、日本軍のはみだし者である宿敵伊達順之助と運命に手繰り寄せられるように 決戦遭いまみえるを軸とする。そこへ、民を守り信義に生きる馬賊たちの血と涙、侵略者たる関東軍司令の卑怯な罠、 その手先の悪辣な軍閥将軍の狂気、情報将校、敵か味方かわからない(マカロニウエスタンそのものの)孤高の元賞金 稼ぎどもが、縦糸と横糸を複雑に織りなして出たり入ったりと渦を巻く。しかして主軸はあくまで直情径行一直線、こ の上なく分かりやすい冒険活劇スペクタクルである。抱きしめたくなるくらい不器用でカッコいい馬賊の姿に思わず 「押(ヤー)ッ!」と叫びたくなる。
むかし新宿駅東口に新宿昭和館があったころ、学生だった自分はほかの観客の皆さんと同じく、スクリーンで暴れる健 さんや文太や緋牡丹お竜にハートをわしづかみにされ、映画館を出たあと肩を怒らせて風を切って人ごみの中を行き、 しばしば怖いお兄さんにぶつかりそうになって、ごめんなさいごめんなさいと平謝りした。
『竜虎』を読了したいま、44歳無職のわたしの頭のなかには馬賊の汗と乾燥した空気を切り裂く弾丸、きらめく白刃と 血煙が交錯している。大陸の砂塵がびょうびょうと舞いおどる向こうに、卑怯な裏切り者どもの狡猾な後ろ姿をみつけて、 愛馬の横腹に拍車を噛ませるのである。「押(ヤー)ッ!」と大地から噴きだすような野太いかけ声をあげながら。
『竜虎』は『頭弾』『狼叫』から続いている三部作の完結編だが、『竜虎』から読んでもまったく問題ない。ただ『竜虎』 を読んでしまうと柴火ちゃんに惚れちゃってもっと活躍してる姿を読みたくなるから、『頭弾』『狼叫』も手にとりたく なるだろうと思います。
妻を事故で亡くし、10歳の娘と二人になった男が南アルプスの野生鳥獣保存管理センターに赴任され、自然の驚異と人間の狂気に触れながら力強く生きていく物語で読み応えがあった。山が荒れて野生動物が里に下りて農業被害が増える。お腹をすかせた野生動物は田畑の食料を食べるだけでなく人間を襲い人的被害も増えていく。人間はその原因も考えず、野生動物を駆除することを望む。もとを正せば、山が荒れたのは人間の不法投棄や焼却施設建設が原因で、その結果、水質汚染や土壌汚染が広がり野生動物たちを追い詰めていたのだから自業自得であるのだが、それを理解できない人間の様子が本当にリアルに描かれていて考えさせられることが多かった。それ以外にも、野生動物たちとの死闘や、人の死に対する考え方など、本当に読み応えが多く、最後まで飽きずに読めた。
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