本の書き手、読み手のほか、図書館関係者、出版関係者、古書店経営者、大型店舗従業員、編集者、装丁家等々、本に関わる様々なジャンルの人たちの電子書籍に対する意見であり感想である。
総じて古書店経営者は扱う対象からして当然であるが電子書籍にはあまり興味が持てないようである。また読み手の多くは紙媒体であろうと電子媒体であろうと要はコンテンツ次第という感想が多いようである。しかし、中には電子書籍をことごとく毛嫌いする人も少なからずいるのには少々意外である。その毛嫌いする程度が並大抵ではないのにも相当驚かされる。
また印刷物以前の書物はどうするのか、これらもデジタル化するのだろうか。竹とか木々に書かれた古文書の類があるがこれらの「書きもの」をデジタル化してもはたして誰が読むのだろうかという興味深い意見もある。
電子書籍は今年が元年ということで、今後どのようなコンテンツがリリースされるか、どのような電子機器が開発されてくるかは全く未知数である。しかし、紙ベースの書籍はなくならない、という方向性では意見が一致しているようである。
このCDはまーちゃん(飯塚雅弓さん)の3枚目のアルバムです。 このCDのテーマはタイトル通り「愛」について。まーちゃんにとって このテーマはそれからずっと繋がっていきます。 1曲目は可愛いラブソングで始まります。その後は少し大人っぽい ラブソングが流れます。4曲目の「オレンジと観覧車」はまーちゃん の名曲の1つでもあります。可愛くそして切ない曲です。 その後は少し元気な曲で1曲静かな曲をはさんでその後の2曲も元気に 進みます。10曲目は卒業シーズンにぴったりなさわやかな曲です。 最後に静かな切ない曲で静かに終わります。 全体的にこのアルバムは可愛らしい曲が詰まっています。聞いていて 笑顔がこぼれる・・そんな感じです。
発表当時、評論家は「マンガは文学になった」と本作品を評価したが、まさに傑作の文学作品しか与えられないような強烈な読後感を与える作品である。OLでありながら、ワニと暮らし、かつホテトル嬢である主人公の置かれた普通のようで異常な状況を、作者は登場人物の心理描写を通じて多面的に捉えることで、リアリティを持たせることに成功している。資本主義と愛という嵐の中を、翻弄されながらもマイペースで泳いでいく主人公の生き様は、「壊れてしまっている」のかもしれないが、逞しく、読者に勇気させ与えてくれる。
物語のはじめのほうと終わりのほうに、同じ構図のコマがある。見開きの2ページを使った、橋の上での場面。「山田君と河ぞいを歩く 橋をわたる 何も喋らずに行く」。 いつもどこか現実感がともなわない、高校生のハルナの毎日。オゾン層の破壊も、白骨死体も、人間関係も同じように。でも時には、河の向こうに、遠い海の存在を確かに感じることができて、誰かの心を、それが呼び起こしていくような自分の心を、確かに感じることができる、そんな瞬間がある。最後の橋の上での場面は、それをそのまま感覚に訴えかけてくる。 「僕らの短い永遠」。ウィリアム・ギブソンの詩から引用された言葉が、物語の中で控えめな光を放つ。作者が描こうとしているのは、一貫して、「僕」ではなくて「僕ら」だ。観念的な「僕ら」を作り上げるのではなくて、あくまでもそれぞれの「僕」の断片によって。 それらの構成は巧みだが無愛想。主人公の感情も緻密には描かれない。しかしその高めの視点は、主人公だけの物語ではなくて、青春の風景ともいうべき空気そのものを捉えている。
この本を高校生ぐらいの頃に読んでたら女性に対する態度が大分変わってただろうなーと思う。 大抵の男子って高校生ぐらいまでは“女性に対する無駄な憧れ”ってのを持ってるでしょ。「あの子は絶対にいい子だ」みたいな無根拠なやつ。 それを、ぶち壊してくれるのが本書。「女性だってテキトーでワガママでエッチなんだ、男と同じで。」と思わせてくれる。 男女の付き合いって、そう思えるようになってから(僕の場合は20歳頃だった)が面白いので、まだ幻想を抱いてる若き男子は読むように。
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