伊福部昭:全歌曲
ここ数年、伊福部作品をフィーチャーしまくっている藍川由美のボーカルに
よる、最新の歌曲作品を含むCD。
取り合えずこれ1枚あれば殆どの代表的伊福部歌曲はカバーできると言って
良いでしょう。本録音のコンサートにも行きましたが、基本的に単独ボーカル
だけのライブにも関わらず、静かなるも迫力あるコンサートだったと記憶して
おります。
よく言われる通り、「技巧に走った曲ではなく、むしろ単純な構成であるのに
強烈に個性的&魅力的なメロディーとリズム」といった伊福部作品の特徴は
このCDにもまんべんなく満ち満ちております。特にサハリン島先住民の
子守唄の幾つかを聴いていると、まるでサティの「ジムノペディ」にも似た、
「静かで単純だけど、強烈なインパクト。滅多にこんな曲書けるもんじゃない
よ」と言った気持ちにさせてくれる事請け合いです。(やや独断か?)
「聖なる泉」は、ご存知「モスラ対ゴジラ」の劇中で双子の小美人が歌った
名曲ですが、やっぱりこの曲はハーモニーの方が輝くなあ、と正直
思いました。個人的にはやはり初演(映画劇中)のザ・ピーナッツのボーカル
が一番だと思います。
いずれにしろ、伊福部歌曲作品を知る上では間違いのない、かつお得なCDと
は言えるでしょう。
プリザーブドフラワー「感謝の気持ち」特大カーネーション (やさしいピーチ)
母の日のために買いました。
商品自体もとてもかわいく、きちんとクッション材を用いて包装してくれていたので綺麗な状態でプレゼントすることができました。
私は利用しませんでしたが日時指定ができるのも、とても便利だなとおもいます。
ラッピング用の袋とメッセージカードも付いていたので、自分で用意するものがなく、助かりました。
また利用したいと思います。
魍魎の匣 スタンダード・エディション [DVD]
「猟奇殺人事件」・「似非新興宗教」・「マッド・サイエンティスト」という3つのテーマを無理矢理ひとつにして4で割ったようなコメディ風ホラー映画である。
本作では昭和27年の日本の市街風景の再現を狙って中国(China)の地方都市(蘇州辺りか?)でのロケ場面が多いが、屋根の形状や河川風景等に違和感があり、どうしても「三丁目の夕日」と比較してしまう。現場ロケならではの空気感は十分感じられるが、いくら似ているからといって異国の町並みを戦後間もない日本に見立てるのには土台無理があったようだ。
しかし配役においては、主役の堤真一を始めとしてヒロイン役黒木瞳、準主役の阿部寛、椎名桔平と個性派俳優をズラリ並べて抜かりは無い。ただし苦言を呈すれば各シーン毎に主役がころころ変わることがストーリーの一貫性を希薄にしており非常に残念である。
本作は謎解きや怪奇性を期待するよりも、各役者の<成切り度>と<京極風ホラー・ワールド>を気楽に楽しんで観るのが良いだろう。今回もまた主人公京極堂の「この世には不思議なことなど何もないのだよ、○○君」という決り台詞を耳にするだけで満足したのは私だけであろうか?
というわけで、現代中国の長閑な地方都市の観光映画として見るなら十分に楽しめる作品である。
毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫)
親に植え付けられた罪悪感を捨てよう
母親が恐ろしい魔物(この本で言う毒親)、異常な家だということはずっと幼い頃から気が付いていましたが、実は父親こそがその本体だったのではなかったか、と初めて気が付きました。でも、もしかすると、と意識の中では気が付いていたように思えます。
もっと早くこの本と出会いたかった。
そうすれば間違いなく人生変わっていただろうと思います。
でも、それでも生きているうちに出会えて良かった。
私の中でことあるごとに、出てくる思考が、本当に自分の考えなのか?それとも親に刷り込まれた呪縛なのか?
もしかして私が”自分の考え”だと思っているものはもしかしたら違うのではないか?
そう思いついたところでした。
何故なら、自分の”思考”に従って行動すると、必ず私にとって、悪い方へ転がりいつもおかしなことになる。
それもいつも同じパターンで。同じ思考、同じ行動パターン、同じ悪い結果、ぐるぐるいつも回っている。
止めようと思っても止められない。
私の中の何かが、思考のパターン、行動のパターンを変えようとするのを阻止するのだ。
いつもの思考、行動パターンを変えようとすると、ざわざわと胸の辺りが不快に疼き、鳩尾のあたりが締め付けられるのだ。
そして、何故、私はこんな考えをするのだろう?周りを見渡しても、今までの人生で見た人たちを思い出しても同じような考え方をする人などに当たったことは無い・・・
多く出版されている『・・・の法則』、のような本には、思いを吐き出した後は、「許せ」「恨みを手放せ」などと書かれており、多くの人が感動したベストセラー、○○部売れた、などとありますが、この『毒になる親』中に記載されているような目に遭った人間にとっては、申し訳ないが、ただの美談、理想論としか思えません。
ちょっとした誤解や、すれ違い程度であればともかくとして、たった一度きりの人生の大半を乗っ取られてしまった人間にとっては、簡単に許せるものではないです。
簡単に言わないで欲しい。
そんなベストセラーの「法則」を読んで、「私は絶対に許せない」「許せるはずが無い」「許せないと思う私はそんなにも優しさが無く醜い人間なのか?」と悲しい思いをしていました。
私の疑問の答えがここにありました。
このページを読んだ瞬間、「あっ!」と声を上げました。
これです、全くこの通りです。
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九章 「毒になる親」を許す必要はない
「罪の免除」は「事実の否定」の一形態に過ぎないと確信した。
親を「許した」と言っている多くの人たちは、本当の感情を心の奥に押し込んでいるのにすぎず、
そのために心の健康の回復が妨げられていたのである。
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これが多くの、幸せの法則、癒し、心理関係の本に書かれている、「許し」に対する私の疑問への答えそのものでした。
そうです。「許し」を強要することは、被害者を一層窮地に追い詰めることなのです。
「親を許さなくていい」、、、救われました。
不運にもこんな親の家庭に生まれてしまい辛い目にあった多くの人たち、何故か分からないけど人生生き難い、生きていること、生きることに意義を見出せないと感じる一般の方々のみならず、色々な法則本、癒し本などを書かれている方こそに熟読して頂きたい。
お気軽に、「許しましょう」などと呑気に本に書いている人たちにこそ読んで理解して頂きたい。
運良く通常の家庭、親に恵まれ、自分の価値、愛される自分、受け入れられる自分を特に意識することなく生きて来られた人には絶対に分かりません。
中には不運、不幸を乗り越えて貧しいところから這い上がった成功者として本を書いているつもりの人もいるでしょう。
でもそんな人の中には、自分を信じて苦しい中を努力して成功出来たのも、自分にはまともな親に恵まれて育ち、自分を信じることが出来る土台があったから、ということを理解していない人もいるのではないかと感じました。
運良く親に恵まれた人が、自分の人生を主体に考え勝手に奇麗事を言うのは簡単です。
私は罪悪感など持たずに、「子供の人生を親が好きにして何が悪い、当然だ」と心の底から信じて疑わない親から自分の人生を取り返して良いのだ。
私が私自身の幸せを望み、「幸せになりたい」、と思うことは、厚かましいことでも、図々しいことでも、身の程知らずなことでも無い。
こんなことを罪悪感なく、やっと言葉に出来るようになれた自分が嬉しいです。
今まで多くの法則本、癒し本などを読んで、余計虚しさを募らせて来ましたが、この本を読んでやっと親にずたずたにされた子供時代を生きてきた人間の心の闇を理解して下さる方がいたことを幸せに感じます。
本当に救われました。