The Boy
この本は古今東西の少年の写真、彫刻、絵画で構成されている。主に西洋のものが多い。アジアの図版が少ないのは残念だが。少年の美とは、うつろいゆく一瞬の美であり、芸術家はその一瞬を作品にしてとらえようとしてきたといえる。表紙のビヨルン・アンドルセンなどは、ヴィスコンティによって、その刹那的な美をスクリーンに永遠に残すことができた。この本は図版も多く、見るだけでも楽しめる。東洋の少年の写真集があればいいのだが…。
ベニスに死す〈ニューマスター版〉 [VHS]
1940年代~1970年代に数多くの作品を撮ったルキノ・ヴィスコンティの映画群は、中学生の頃からよく見ていました。
大阪のミニシアターで特集が組まれて上映されていたので、前売り券を買って心待ちにするほど好きでした。
ヴィスコンティの何が好きだったかと聞かれれば、映画の中で描かれる貴族達の生き方に対する憧れと、クラシック音楽と官能的色彩の映像による独特の高揚感が、麻薬のように若い日の感受性を刺激したのです。
ルキノ・ヴィスコンティは、アルファ・ロメオ社の紋章にも見られるミラノ公ヴィスコンティ家の直系です。つまり、ヨーロッパ随一の貴族の生まれです。
ミラノスカラ座のパトロンだったヴィスコンティ家には、数々の著名人、芸術家が出入りし、その中で生まれ育ったヴィスコンティは、まさに第一次大戦前の平和な時代(ベル・エポック)のヨーロッパ文化の申し子でした。
彼の幼い時の遊び相手は、名指揮者トスカニーニの息子だったり、夜の遊びを教えた兄貴的存在が詩人のジャン・コクトーだったり、映画の撮り方を教えた人物が画家ルノアールの孫のジャン・ルノアールであったり、ヴィスコンティが最初に演出した舞台の芸術担当がサルバトール・ダリだったり、そんな話はつきません。
世界的な芸術家たちからじかに様々な事を吸収したヴィスコンティは、舞台、映画、オペラにおいて、先駆的な成功を次々とおさめ、やがて巨匠と呼ばれるようになります。 アラン・ドロンを発掘したのも、マリアカラスの黄金時代を舞台演出家として支えたのもヴィスコンティでした。
一方、ヴィスコンティが生きた時代は、芸術家である以上に、政治的な人間であるうことが求められる時代でした。
ヴィスコンティの青春時代、ヨーロッパでは2度の大戦が起こりますが、ドイツ文学やゲルマン民族の文化に深い共感を持っていたヴィスコンティは、ナチス前夜のドイツを旅して、ナチスによるゲルマン文化の復興に深い共感をおぼえます。
しかし、結局、ヴィスコンティはナチスになびくことはなく、それどころか、「赤の貴族」と呼ばれ、イタリア共産党に入党し、対ナチスのレジスタンス活動を援助して、ナチスに投獄され死刑を言い渡されたこともありました。
でも、ヴィスコンティの親しい友人の何人かはナチスになびきました。ヴィスコンティが生涯にわたって親友関係を続けた、シャネルの創始者のココ・シャネルもその一人でした。戦後、その事を理由に非難されたココ・シャネルの気持ちを、自分も一時期ナチスに心情的に共感したこともあったヴィスコンティは理解できました。
ヴィスコンティはのちに、「地獄に堕ちた勇者ども」という映画でナチス前夜のドイツの上流階級を描きます。その時代の混沌とした時代精神を描くことによって、その時代に生きた人々を、そして親友のココ・シャネルを弁明しようとしたのだ、と彼は語っています。
そして、シャネルが死んだ時、ヴィスコンティは赤い薔薇を送り、「ベニスに死す」 という映画を撮って、ベルエポックの時代に輝きを放ったシャネルの衣装とその時代風景を映像で蘇らせて、亡きシャネルに捧げました。
ベニスに死す [DVD]
映画評論家を含めて、ほとんどの方がご存じないようなので、書かせていただきます。この映画の原作は、実はトーマス・マンの短編『ヴェニスに死す』だけではありません。同じトーマス・マンの長編『ファウスト博士』を読まないと、実はこの映画を十分に理解することはできないのです。この長編ファウスト博士の主人公は音楽家エイドリアン・レーヴェルキューンであり、芸術のために「悪魔との契約」を結びます。この契約は、娼婦ヘタエラ・エスメラルダからの梅毒の感染というかたちで実現します。結果としてレーヴェルキューンは12音音楽(シェーンベルクの音楽をモデルにしている)の創造にたどり着きます。ここまで書けば、気がつく方も多いと思います。娼婦の館を訪れるエピソード。12音音楽をめぐる音楽談義。そして何より、ヴェニスに主人公を運ぶ客船の名前がエスメラルダ号です。ちなみにトーマス・マンはレーヴェルキューンの生涯をニーチェを題材にして構築しています。梅毒、娼婦のエピソードはそこから採られています。ユダヤ人であったマーラーの音楽を使いながら、ドイツ精神の悲劇を描いた『ファウスト博士』を映画の中に描き込んだビスコンティの作家精神をこの映画から読み取るのも楽しみのひとつとなるでしょう。ぜひもうひとつの原作にも手を伸ばしてみてください。
トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)
内容は全体として暗いが結末はヴェニスに死すとは違い、少ないながらも明かりが見えるものになっている(実際マンは生きていたのでその後この本や「魔の山」を書いた)。だが読んでいて「ヴェニスに死す」の主人公に対しては全く哀れみを感じなかったのに、トニオに対してはそれを感じた。しかもこれがトオマスマンの自伝的作品となるとなんだ一層気の毒に感じる。文学と音楽、そして美を愛するトニオ、周りのものから変人扱いされるトニオ、同性愛的嗜好を持ち美少年ハンスを愛するトニオ、1人の少女を愛するも叶わないトニオ、芸術家とは何か、苦悩するトニオ・・・「精神」と「実体」その間で揺れ動くマンの若き日の、もしくは晩年まで持ち続けた苦悩を表した佳作である。
ワルキューレの騎行(地獄の黙示録)~映画のなかのクラシック
「ワルキューレの騎行」を聴きたくて購入しました。
ワーグナー好きなんですが、お店にあんまり置いてないんですよ。癒しクラシック全盛のせいでしょうか?
どれも耳慣れたクラシックだけあって、じっくり浸るにふさわしい!
作曲者が自分の気持ちを前面に出てて、わかり易いのです。
これを聴きながら作業をすると、地の底から何かが湧いてきて元気が出るのですが…私だけ?
岩山を登っていくイメージをお探しの方はどうぞ(^o^)丿