薩摩義士伝 (1) (SPコミックス―時代劇シリーズ)
まず物語の最初の方では迫力のある合戦シーンや薩摩藩士同士のにらみ合いが続いて
見るものを引き付ける圧倒的な描画が多いのですが、この物語は幕府によって
島津薩摩を抑えるためににらみを利かせる意味での、莫大な費用を賭けた無理難題の
治水工事をさせる方へと物語はすすんでゆきます。この話は4巻目の特別読み切りにも
書いているのですが、知恵を働かせて立身出世する話でもなければ、達人を目指す
武芸者の道をもとめる話でもなく、虐げられて反抗する反逆者のドラマでもなく、
話の核は過酷な労働によって死んでいった無念の義士の話です。
薩摩義士の無念の話を1枚1枚じっくり読ませていただきました。
無明逆流れ レジェンドコミックシリーズ12 (レジェンドコミックシリーズ―ポケットレジェンドワイド (12))
「シグルイ」から原作の「駿河城御前試合」へ、そして此処へ辿り着きました。
「シグルイ」は漫画ですが、この作品は”劇画”です。
作者の初期の作画は、丁寧な線の描き込みで勢いが無いと感じる方も居られるかもしれませんが、私的には満足しております。
同録の「美童記」と、それぞれ星5つと言いたいのですが、
如何せん価格が高いので、合わせて星9つです。
大地獄城,血だるま力士
参考:平田弘史劇画創世期傑作選(「復讐つんではくずし」収録)
http://www.laputa.ne.jp/hirata/hirata.html
結論から書くと、オリジナルの「復讐つんではくずし」の圧勝。
リメイクされた「大地獄城」は画風も全盛期の平田先生のそれでなじみがあるので読みやすい。若干の設定の違い(太平の歯を切り落とすのが大殿だったり囚人たちの苦役の形式が違ったりなど)はあるものの、ほぼオリジナルを踏襲したストーリー展開。だが「復讐つんではくずし」を初めて読んだときの「何か非常にいけないものを見てしまったが見てしまった以上下には戻れない異常感覚」に襲われることもなく安心して読めた。(まあ内容はほぼ同じなのだが)
とはいえリメイクの本作でも大殿の重盛(オリジナルでは利高)に対する仕打ちの描写は目を覆うばかりで、歯を全部切り落とされ目と耳を削がれ片目を空洞にされた大殿の描写は平田先生以外には描けない圧倒的な迫力を産んでいる(くどいがオリジナルのほうが描写はきついよ)。
それにしてもオリジナル掲載時著者23歳、リメイク時31歳。天才の業とはまさにこれか。挿絵調の画風が異様な迫力を生んでいるオリジナル「復讐つんではくずし」は一生に一度は読め。
腕~駿河城御前試合~ 1 (SPコミックス)
私は『シグルイ』を読み、結末が待ち切れず、原作を読んだ口です。
そして、あまりにもあっさりした原作に驚きましたが、
『腕』はその原作に忠実です。
この感じだと3巻くらいで原作をすべて描ききれそうなので、
『シグルイ』でネタ振りされながら、描かれなかったエピソードの
続きが知りたい人におすすめです。
『シグルイ』はしばらく続きをやらなそうですし。
なお、原作とは話の順番が変わっていますが、意図は不明です。
弓道士魂―京都三十三間堂通し矢物語 (レジェンドコミックシリーズ―平田弘史作品 (7))
フェルミ推論と同類問題に「弓で矢を射る。どこまで飛ぶか?」がある。非常に面白い問題です(奥深く限りなく楽しめる)。
弓道は日本が世界に誇る武道のひとつだと思うけれど、そのルーツは、本書で描かれている「京都三十三間堂(蓮華王院)120m通し矢」にあるのではないかとさえ思う。そのいきさつを当時の関係者の視点で描いた貴重な本であり傑作です。
末尾の解説に、通し矢競争の雄藩であった尾張藩の付家老末裔の成瀬氏が一文を寄せられているのも興味深い。「藩主の自己満足のためのイベント」という位置づけのようです。
記録を達成できなかったとき自決した事例はあったし、それに準ずる悲劇はあった。それにもかかわらず、この競争に叡智を注いだ経験は、今日の日本の科学技術に繋がるものがあるのではないだろうか。思いつきの努力の限界にあたったとき、才能の発掘と育成、環境技術(通し矢回廊と同型の建造物を作る、霧などの自然対策など)、器具の研究開発(射手の特徴、弓、つる、矢のそれぞれの物性、全体の調和)など体系的に突き詰めて考究を尽くしたことの意義は大きい。日本の技術開発精神のルーツを見る思いがします。
最終的には、紀州藩の和佐大八郎が尾張藩の星野勘左衛門の八千本を132本超えた。それは尾州の勘左の助力があったということで、両藩の総力の結晶という形で大団円となった(とした)。驚異的な記録です。
年代としては、関が原の豪傑、浅岡平兵衛(1606年)が酔狂で通し矢(51本)をしてから、和佐大八郎(1686年)までの80年間。
時代は過ぎて、ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲル氏が大正末期に来日して、弓道師範の阿波研造氏に師事して研鑽された。その体験記は残されている(「日本の弓術(岩波)」他)。圧巻は、ヘリゲル氏がドイツ観念論では理解不能な阿波師範の教えに反抗したとき、師範は夜の試射実技に誘った。師範は暗闇の中で的の前に線香を立てた。射手から的は闇に包まれて見えない。師範の一射目(音で的に当たったことは分った)、続射(異様な音)。ヘリゲル氏が確認に行くと、一本目は的の真中を射ていた。2本目は1本目の矢軸を破って的に刺さっていた。
以後、ヘリゲル氏は「疑うことも、問うことも、思い煩うこともきっぱりと諦め」精進し、奥義を窮めたと言う。今日のお受験型教育では、ヘリゲル氏が崇敬した阿波師範のような人材や国をきちんと導くリーダーを得ることは至難であることに嘆息します。