ニューヨーク・スケッチブック (河出文庫)
この本がどんな本かを解って貰うためには、「ニューヨーク・スケッチブック」の34編の短編と共に、巻末収められている「黄色いハンカチ」と言うたった6ページの物語を読めば良く解ります。
この「黄色いハンカチ」は、日本人なら誰でもが良く知っている「幸福の黄色いハンカチ」と言う高倉健主演の映画の原作です。
山田洋次監督が、この短編からイメージを膨らませて、この映画を作ったのですが、確かに、この短編を読むだけでそうした書かれていない主人公の人生が思い浮かんできます。
この短編集に収められた34編+1編のどの作品を読んでも、同様に主人公の抱えている人生が浮かんできます。
10ページ弱の短編でそこまで表現してしまう作者の実力のほどが窺えます。
どの一編を読んでも、そこには市井に生きる人間の人生が感じ取れる、素晴らしい短編集です。
幸福の黄色いハンカチ [VHS]
はずみで殺人を犯し、網走刑務所に入った男。彼は、妻に、1つとしていいことはしてやれなかった。
出所して、彼はもと妻に手紙を送る。
「まだ、俺と一緒に暮らす気持ちがあるなら、黄色いハンカチを家に掲げてくれ。」高倉健が渋い役をこなす。
一方、東京で失恋した武田哲也と、偶然電車の中で出会った、これも失恋したばかりの客室乗務員の娘。
この2人は、目的のない、北海道での自動車の旅を始める。
そして、家へ行こうか、迷っている高倉健に出会う。
家に着いて彼らが見たものは・・・
日本映画で、これほど感動させるラストは、見たことがありません。
あの頃映画 幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010 [DVD]
まだ 高倉健も 若く 武田鉄矢も 若く 素晴らしい 映画です。
人として 愛情の 大切さを 心から 感じました。
見てない 人は 見ると 良いですよ。
幸福の黄色いハンカチ [VHS]
1960年代に生まれた同世代以降で、邦画が好きと言う人にはあまり会わない。その理由としてよく耳にするのは、「邦画は暗いイメージがある」という答えだ。しかし、実際には決してそのような鬱屈とした作品ばかりでなく、
心が洗われるような美しい物語も数多く存在する。「幸福の黄色いハンカチ」は、まさにそうした、見る者の心に青空を届ける、日本映画の傑作といえよう。
「庶民」という言葉が、かつてこの国には存在し、「庶民的」と呼ばれる人の暮らしがあった。この映画で描かれる世界は、まさにそうした庶民の飾りのない心の触れ合いを描いた物語である。さて、この「庶民」という言葉を辞書で調べると、「社会的特権をもたないもろもろの人」とある。ここでいう「社会的特権」というのは具体的には何を指すのか分らないが、少なくともそこには「庶民ではない特別な階級」という前提があるようで、この国がいわゆる「市民」によって建てられた「民主主義」の国ではなく、「特権階級」によって成り立ってきた歴史を示唆する逆説的な言葉のようにも思えてくる。ここでそれが良いとか悪いとかいうつもりはないが、ただ、この作品を見たときに、そうした「庶民」と呼ばれる人々の暮らしの中にこそ、日本人が培って来た大切な何かが宿っているように思えてならないのだ。
この映画を、今もう一度見ると、そこに描かれる「幸福」というものが、とてもシンプルなものに思える。社会的名声や、地位や、物や、知識ではなく、
「幸福」というのはもっと素朴な、打算のないありのままの人の心の触れ合いの中にちあったのではないだろうか。日本人はいつか、誰からか与えられた物差しでしか「幸福」や「価値」を見出せなくなってしまった。そのような物差しでしか自分の存在を測れなくなり、いつかありのままの「自分自身」すら見失ったのではないか。そして、そのような物差しで作った社会を再生産し続けた結果、行き場のない歪んだ事件を現在に引き起こす結果となったように思えるのだ。
ところで、この映画のワンシーンで、お腹を下した武田鉄矢が牧場をがに股で駆けていく後姿を笑う高倉健の横顔が映るが、どうも本気で笑っているように見えてならない。演技だとしても、このような笑顔を見せる高倉健はスクリーンの中では珍しかった。この作品は、それまでの「網走番外地」シリーズのイメージから脱却し、近年の「駅員」「ホタル」などの名演に通じる、新しい俳優高倉健の可能性を広げたターニングポイントとなる作品としても知られている。
さらに、桃井かおり、賠償千恵子、渥美清といったこれ以外はありえないとも思える絶妙のキャスティングなど、まさに日本映画の結晶といえるこの素晴らしい作品を、まだ見ぬ人にはぜひ伝えたいと思う。
この春風のように爽やかな物語には、不思議と邦画独特の湿り気がない。
ラストシーンで空にそよぐ「幸福の黄色いハンカチ」がいつの日か自分の人生にも訪れることを、この映画を見た人はきっと願うだろう。しかし、このようなすばらしい日本映画が、何故その後生まれないのか。それは「幸福」そのものを、この国に住む人々が見失ってしまったからではないだろうか。
山田洋次―なぜ家族を描き続けるのか
もう日本映画制作現場最後の砦かもしれない、この監督のものづくりを丹念に描いた本。
台本に書かれなかったことまで想像しつくし、家族の空気ができあがるまで“待つ”ことを耐え、違和感ない映像が撮れるまでけして妥協をしない昔気質のつくりかたがそこにある。
いっぽう、寅さん亡きあと、この監督が本気で惚れこんだもうひとりの寅さん……どうしようもないロクデナシだけど、代えがたい人間味の塊。「おとうと」を演じるその俳優のことを、監督・山田洋次がどれほど惚れ抜いて「おとうと」という映画作品が出来上がったのかが、全編から響きわたってくる。
「やっぱ日本映画界に生身の寅さんがいないと淋しいんだよね」なんて思ってる人に一読をお奨めしたい。