なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか――新・言霊論(祥伝社新書289)
四四〇万部以上売った「逆説の日本史」シリーズの著者は、日本の歴史や諸現象をあるキーワードを使って読み解いている。それは「言霊(ことだま)」で、一九九一年刊の著書で世に問うた。二十年経ち、福島第一原発事故を受けて書き直したのが、本書「新・言霊論」だ。箇所によっては、前著で用いた例が同様に使われている。だが、日本を蝕んでいる日本固有の行動原理の存在を、あらためて教えてくれる。
一九九一年、福島第一原発のタービン建屋で水漏れ事故が起きた。地下一階に水があふれて、非常用ディーゼル発電機が使えなくなった。担当者は津波が来たら一発で炉心融解だと悟ったという。だが、津波の想定はタブー視されていた。国費三十億円を要した災害用ロボットも捨てられた。事故の可能性を認めることになるので、東電が受け取らなかったのだ。実際の事故では、津波の数時間後にメルトダウンが起こっていた。だが、二ヶ月後に東電が認めるまで誰もそう書かなかった。
著者によると、これらは全て「言霊」の支配による。言霊とは「言葉と現象がシンクロする」ことで、「こう言えばこうなる」「あると言えば実体がなくてもある」「マイナス予測は、それが実現するよう願った(事挙げした)ことになる」とする世界が言霊社会だ。人を不愉快にする意見は言えない。どう非難されるか経験的に知っているからだ。事故の可能性を認めれば、津波対策、地震対策、全電源喪失対策などが準備できる。ところが日本でそれを言うと、事故が起こるのを望んでいると解釈されてしまう。
かつて天皇や皇族は武装していた。だが戦さに備えると実際に呼び込むとされ、正式な軍隊を持たなくなった。桓武天皇は平和を事挙げして平安京に遷都した。時代は下って太平洋戦争前、海軍は対米戦になれば負けると知っていた。だが負けを願っていると非難されるので言えなかった。戦後の平和憲法も言霊信仰に支えられている。平和を願うだけで戦争にならないと信じているからだ。抑止力について話すだけで戦争を願っていると非難される。だから本当のことは言えず、最悪のことが想定できない。言霊という迷信に支配されているのだという。
日本人は言霊という宗教の信者である。言霊を知らずに日本は語れない。言霊の悪影響を克服しなければ、原発事故のようなことが必ず将来また起こる。これが著者の主張だ。一読に値する。ただ、最後の私と朝日新聞闘争史という章は、書かぬが華と感じた。
逆説の日本史 別巻1 ニッポン風土記[西日本編] (小学館文庫)
現在逆説の日本史を読まれている方には、ちょっともの足りない内容かもしれません。
全国を旧国名で分けて、著者の気になった歴史・風俗・人物・史跡等を短くまとめているものです。深く読み込む本編と違って、軽く読んでいくタイプの旧国紀行エッセイのようなものでしょうか?内容的には本編とかぶっているものが多いので、未だ「逆説の日本史」を読んでいなくて、これから読もうかと考えていらっしゃる方には最適な内容だとおもいます。本書を読まれて「面白い!」と思われたら、ぜひ逆説の日本史本編を購入されてみてはいかがでしょうか?
逆説の日本史 別巻3 ニッポン[三大]紀行 (小学館文庫)
先行する逆説の日本史別巻シリーズ別巻1・2は新・人国記という位置付けに起因する制約がうっとうしかったが、日本三景など「三」で括られた自然・景観・観光・旧跡・社寺・祭について語った本書はそのような制約から自由で、著者の本に初めて触れる人は面白く読めると思う。
しかし、この本の話の半分ほどはシリーズ本編、そして別巻1・2とかぶる。和気清麻呂はなぜ他でもない宇佐神宮に行ったのか等の井沢説再見は懐かしくはあっても驚きはない。十数年揺るぎない著者の論考の詳細を詳しく知りたい人は本編をどうぞ、ということになるわけだが、その本編はまだ幕末。別巻を著すよりも、本編の刊行を加速した方がいいのでは、と老婆心ながら思ってしまう。