神様、仏様、稲尾様―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
私は、この本の中にこそ、今、とかく、論議を呼び起こしているプロスポーツというものの本質があるように思う。
日本人は、とかく、プロスポーツというものに、「興業」と「競技」の整合性を持たせることが苦手のようだが、プロは自分を見に来てくれるお客さんがいる以上は、まず、試合に出なければならないものだということである。
球場に、長島を見に行って、「長島は今日は欠場・・・。」と言われたら、それはやっぱり、「話が違う!」とまでは思わないにしても、「何だ、つまんねえ・・・」とはなるわけで、著者曰く、「だからこそ、王も長島も、オープン戦から打席に立ち続けた」と・・・。
また、「太平洋クラブ・ライオンズ監督時代、球団は本物のライオンを球場に連れてきて、ファンの歓心を買おうとした。」ことがあったそうだが、著者は、この点も、「日本のファンサービスはとかくこうした筋違いの方向に走りやすい。」と喝破しておられる。
まさに、観客は、ライオンが見たいのなら、球場へ行かずに直接、動物園に行く。
アイドルや曲芸師が見たいのなら、最初から、試合場や競技場ではなく、コンサートや演芸場に足を運ぶ。
観客は何を求めて、足を運んでいるか・・・である。
自らの技術を見せて、観衆から報酬を得るのがプロスポーツだとしたら、プロは、観衆をその本業で楽しませ、感動させなければならないのである。
また、来よう!と思わせなければならないのである。
遠くに球を投げるとか、速く走られるなどというのは、実際に人々の市民生活に無くてはならないものではないということを、選手は今一度、認識すべきであろう。
鉄腕伝説 稲尾和久―西鉄ライオンズと昭和
これだけの記録と記憶をファンに残した大投手がここまで謙虚なことが素晴らしいと思う。まさに、野球界のサムライだろう。お父さんが一徹の漁師さんで、お酒が入ると「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」をいつも胸に刻まれていたという。
この本は、大投手・稲尾和久さんのことはもちろんだが、当時の西鉄ライオンズを教えてくれる、西日本新聞ならではの内容である。昭和33年の西日本スポーツがついているのも非常に面白い試みだ。当時のインタビューや西鉄ライオンズが歴史を刻んだ平和台球場、そして当時の福岡の街の空気などが写真からも伝わってくる。貴重な本として大切にしたい。