草のつるぎ・一滴の夏―野呂邦暢作品集 (講談社文芸文庫)
夭折した芥川賞小説家、野呂邦暢の残された作品を漁っているうちに本文庫に出逢った。みすず書房でも近年、文体変化後の連作短編集「愛のデッサン」なんたらというのが復刊されたが、野呂邦暢は美文体で書こうが、下手な(?)日本語で書こうが、とにかく不器用な実直さが肌に感じられてくる稀有な日本語作家である。とくに近年、松浦寿輝とか堀江幸なんとかなどの芥川賞小説家の小器用な美文体で、うわすべりする、ふわふわしたソフト・ビニール人形のような無内容の小説やエッセイを読まされると、野呂邦暢の不器用だが、作家の奥深いところから醸成される人生の鉛色の重みが心地良い。松浦とか堀江とかは頭が良いからベルコンベア式に小綺麗な文章を量産するのだが、そこになんら魂の問題がこめられていないのがスケスケ。もっとも連中には魂の問題などはなから眼中にないのだが、文学はヌーヴォーロマンやベケットやジョイスでも人間の魂の問題に拘泥してきた歴史を考えると、その問題をはなから埒外とする最近の浮かれ女のような、なよなよとした文学者どもは、10年後にはとっくに文学史から姿を消しているだろう。野呂邦暢のように没後何10年もたって蘇ってくることなど断じてない。
夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》
野呂さんの本を読むのは初めて。1937年生まれというから、詩人の清水哲男さんと同じくらいの年回り。そして70年代に評価されながら80年に急逝というから、一番氏が活躍されていた頃は、こちらは現代詩や合州国のモダニズム文学に溺れていた頃で読まずじまいだった。
仕事体験、苦労話、郷里の話、古本屋さんや自作をめぐる話。どれをとっても乾いた光がたたえられていて、湿っぽさもなく、心地よいままにこちらの心が救われていくようなところがある。
あれっと思ったのは、編者の岡崎さんが10年以上前から「すごくいい」と騒ぎ続け、近年再評価にいたった佐藤泰志さんとの共通点のようなものが感じられたから。どちらも郷里にこだわり、さまざまな仕事をし、水分をたたえたような光を放つ作風で、貧しさからみみっちくなるところがない矜持をも感じさせてくれる。岡崎さん、また「鉱山」掘り当てちゃったなと、その愛情深さとセンスにも感謝。