コンプリート・ヴォリューメン 1993-2003 グレイテスト・ヒッツ [DVD]
ビョークという人はマネージメントも自分で行う人であり、それは即ち自分が旬だと思える映像監督(Spike JonzeやMichel Gondry, Chris Cunningham等)やアーティスト、ミュージシャンなどに対して、いつでも直にアプローチできる体勢だということ。そしてこれはビョークがソロ・デビューしてから現在までの、それらのコラボレーションが実を結んだ素晴らしい映像と音楽の数々が収められたもので、今回その完全版としてリリースされました。同時に、このDVDより少し前に発売されたグレイテストヒッツの内容をほぼ含んでいることから、グレイテストに収録の15曲(新曲It's in our handsも含む)と日本のみのリリースだったヴォリューメン+2に収録の「アラーム・コール(All is Full Of Loveもだが)」と、最近リリースされたシングル曲3曲は5.1chにて。さらにバチュラレットのシングルにカップリングされていた「Nature is ancient (My Snare)」のクリップを新たに追加して、全21曲という充実のクリップ集として、その名も「コンプリート・ヴォリューメン 1993-2003 グレイテスト・ヒッツ」としてリリースとなりました。
最近の上半身裸でぐるぐる巻きになるものや体に突き刺す痛そうな作品で知った方の中には恐いというイメージを持たれている方もいるかもしれませんが、どの作品も自分自身のアイデアを基に徹底的にこだわった結果であり、作品のために、ある意味愚直に我が身を捧げる姿勢やこだわりを、自分自身の目で、耳で感じて欲しいと思うし、どの作品も映像だけでも充分に楽しめる面白い作品となっています。そして、20代の頃から現在までのビョークの成長や変化も同時に見ることができます。
ビョークが行く
風変わりであると同時にとてつもなくファッショナブルないつものビョークでなく、まるで代官山で見かけるコジャレた少女のようなビョークのまっすぐでいて、おとなし気な表情がこちらを見つめている表紙が印象的な本書は、「アメリカのロック界屈指のフェミニスト」であるエヴァリン・マクドネルによるビョークの伝記、ではなく、訳者も説明しているように、一種の「ラブ・ストーリー」である。だが、洋楽(死語?)のCDの国内盤を買う度についてくるライナー・ノーツにありがちな、「この人ちょっと頭弱いんじゃないかな」とリスナーに思わせるロック評論家ふうの耽溺ぶりは本書では残念ながら(?)味わえない。「ビョークに恋した」だけあって、よくデキた男さながらビョークをとても丁寧にあつかっている。ビョークのことをまだよく知らない人、ビョークに病気な人、そしてビョークのことをあまり良く分かっていない人、みんなに読んでほしい。11歳でのデビューから(シュガーキューブスはもちろん、幻のバンドスピット&スノット、ククル情報まで網羅)映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』最新作『ヴェスパタイン』、そして2002年の出産に至るまで、ビョークのすべて、は分からないにしても(なんせ彼女はもうわたしたちの想像を遥かに超えた宇宙の生命体だから)、わたしたちは自分に必要な何かをビョークから分けてもらうことは可能だろう。
REGATTA MASTER 【ラドウェザー】 腕時計 デジタル・コンパス/レガッタ・タイマー/バックベアリング/コンパス・ロック機能搭載 限定品
LAD WEATHER lad002(WEATHER MASTER)のレビューにも書きましたが、これもまた無印良品的でした。デザインはBARIGO NO.47(¥15,420)に似た感じがします。表にREGATTA MASTER IIと控えめにあります。ベゼルは両方向に無段階に回転します。特に動きがスムーズというわけではなく単に固定していないから回るということかもしれません。センサーはコンパスのみ。ヨットタイマーはカウントダウンタイマー0でクロノが連動スタートします。ケースは約50mm x 50mmと大型で存在感があります。ケース裏には海上でもアラームが聞き取りやすいようにだと思いますが、音逃し用のグルーブがあります。SEIKOのヨットタイマーもそうしてありました。ラバーベルトは長く、もしかしたらウェットスーツやドライスーツの上からでも付けられるように想定してあるのかもしれません。防水は3気圧。★★使用開始から3週間です。7秒ほど遅れました。野良作業用に落ち着きました。ベルトが長いのでツナギや作業着の上から付けられるので重宝してます。コンパスを頼りに草取りや除草剤、まっすぐ進めます。スウェットのフードパーカーの上からつけてます。ダウンベストを羽織ってなかなかいい感じです。楽ショッピングの方で¥4,980でありました。(一時的なセールかもしれませんが)
バイオフィリア
自然界の秩序と音楽の秩序を重ね合わせるというコンセプトは、ポエティウスの「音楽教程」に記された宇宙観とも重なる、ひとつのコスモロジーである。
テクノロジーによって人間と自然の調和を探るということ。
それは「環境に優しい」といった傲慢な言説とはまったく異なり、いずれは確実に人類を滅ぼす自然の力と、どううまくやっていくかを考えるということ。
人間はあくまで自然の一部でしかないと認識し、どのようにしたらハーモニーを奏でることができるかを探究する試み。
ビョークはやはりトレンドセッターである。世界がこれからどのように動いていくかを見据えている。
コンセプトに基づいた創作楽器をテクノロジーによって拡張し、唯一無二の「声」でまとめあげた音楽は、確かに美しい。
前作「Volta」のように外部に向けて爆発的なエナジーを放射していくのではなく、むしろ「Vespertine」や「Medulla」のように内部に沈潜していく音楽だ。
沈潜していくことによって無限の宇宙へと解放されていく感覚。
しかし、これらの音楽のいかにポップ・チャートからかけ離れていることか。
キャッチーなサビもなければ、肉体を突き動かすダンス・ビートもない。
様々な音響の耳への優しさが、かろうじてこれらの音楽を大衆と結び付けている。
しかし、すでに実験音楽の領域に踏み込んでいるといっても過言ではないだろう。
これらの音楽は、アプリという形式の総合的な作品の一部に過ぎないのかもしれない。
アプリを体験して初めて、ビョークの意図が理解できるのだと思う。