一遍という人を知りたくて、色んな書物を読み漁ったのですがどうも腑に落ちるものがなく、散々寄り道して辿り着いたのがこの本です。
多分に栗田氏の想像が入っているとは思いますが、「一遍とはこんな人だったのか!」と理解するのはこの本が最適でしょう。
人生に苦悶しながらも生涯遊行の旅を続けた一遍上人のエッセンスが凝縮された一冊です。
現代の日本人の信仰回帰の流れは、神仏習合を軸とした自然崇拝を原点とした信仰と、所作がもたらす形式の清々しさに、心に潤いを与える故にもたらされるのであろう。 その中で、「南無阿弥陀仏」を唱える浄土系の思想は、現代にどんな力を持つのであろうか? 反復を尊重する日本ならではの文化と、ものづくりとの脈絡が、読み進めていくうちに鮮やかに浮かび上がる。 日本人的美意識も、精神構造も伏流となってしまった一遍上人にたどりつくことで筋道が見えてくる。 良書である。
白州次郎の遺言「葬式無用 戒名不用」に感心する人が多いが、一遍ははるかにすごい。僧侶でありながら「わが屍は、野に捨てて、けだものに施すべし」と言って死んでいったのだから。
さて、この小説に描かれた一遍上人をどうとらえるか。
一つは、欲望とどう付き合えばよいのかを生涯問い詰めた人だということ。人間誰でも欲望はある。また欲望がなければ人生や生命はない。しかし、欲望が煩悩となり、苦しみとなる。だから欲望を超越しなければならない。しかし、ここに矛盾が生まれる。この矛盾を解く解は何か。それを生涯を通じて問い詰めたのではないか。
もう一つは、とても現代的なクリエーターだということ。
念仏札というビラを配り、踊念仏というダンス、路上パフォーマンスを生み出し、アウトドアな旅を続けるなど、とても現代的に見える。誰か、映画にしてほしい、そう、読んでいて感じた。
文庫本でありながら、文章だけでなく、図画も見ることができる。機能的であり、価格も割安だと感じた。
古文については、知識不足で理解できないところが多々あったが、飛ばし読みをした。図画をもって不足を補えないかと考えた。
「我みばや みばやみえばや 色はいろ いろめく色は いろぞいろめく」という和歌が記してあり、「この歌は深意あるべし」(P102)との注がある。
逝きし世を、絵巻を通して、謎解きする。一興ではないだろうか。
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