いまは良い時代ですね。 ネットでこんなレアな名盤を簡単に手に入れられて。 彼らは知名度がとても低いですが、Boards of CanadaやPrefuse 73 が評価される今、Telefon Tel Avivがいつブレイクしても おかしくない。 丁寧な打ち込みと生音のバランス、洗練されたメロディー 複雑なことをさらっとやってのけるが嫌味がないCliq hop electoronica。 US西海岸の海沿いのCafeあたりで朝食を食べながら聞きたい。
現在の資本主義経済には限界がある。
なにもリーマンショックやドバイショックを見ての話ではない。
合理性を前提としてくみ上げられた現在の仕組みでは非合理な人間が形成する社会を捉えきれないことを本書を読んで実感したからだ。
題名のとおり、不合理性を予測する学問分野が著者が専門とする行動経済学である。後から考えたり、端から見れば合理的でなかったり、損をしたりする行動をなぜとってしまうのか。こういった不合理な行動に合理的な根拠や動機を見出していくのが行動経済学である。本書で取り上げられる様々な不合理な行動の事例や研究・実験は非常に面白い。のぞき見趣味の部分もあるが、MITやハーバードのような理性的と思われる人々も人間として不合理な行動をとっていること、それも著者たちの思惑通りに(時には意外な結果もあったようだが)不合理な行動をとってしまうことが興味深い。どれも面白かったが、個人的にはゼロコストを扱った第3章、選択の自由を扱った第8章が特によかった。
経済学の父とも言われるアダム・スミスももともとは哲学や道徳論を専門としていた(まあ、最初の経済学者だからスタート地点は違うところにあるのは当たり前だが)。行動経済学にとどまらず経済は人間の動きや心理を分析する視点が経済学には含まれている。合理主義的行動を重視しすぎる立場に対して人間の本性も加味していく行動経済学は立派なカウンターバランスとなる分野である。一部では誤解もあるかもしれないが、経済学の異端ではなく、経済学の主流の一部である。
本書は異端の経済学書に見えないこともないが、非常に正統的な経済学の入門書である。読み物として読みやすくなっており、行動経済学のエッセンスにふれるための最適の書のひとつである。反面、理論面の説明は弱いので、さらに学びたい人は別の書も手に取る必要があるだろう。
~こんなに感動したCDは久しぶりです。 エレクトロニカでくくりきれないスケール感。 楽曲、歌、ビート、楽器、シンセ、ミックス、すべてが美しい。 ここまでクオリティが高いのは他にbjork位しか思いつきません。 私はこのユニットのことを良く知りませんが、近いうちに世界的な アーティストになるのではないでしょうか? (私が知らないだけで既にそうな~~ってるのかも知れませんが) 音が非常に良いので、良いオーディオシステムやヘッドホンで 聴くことをお勧めします。~
名人スターンのメンコンに加えてバーンスタインの豪華な指揮でライブ演奏は
文句のつけようがありません
「月刊現代」の後継誌として創刊された「g2」に掲載されている石井光太氏の「感染宣告 日本人エイズ患者と性愛の連鎖」は、HIV感染を宣告された人が、「宣告後の人生をどう生きているか?」に焦点を当てたルポである。
HIV感染は、他の病とは異なる特長を持っていると思う。
1つは、性行為(セックス)により感染するものであり、また、感染者は、「他人に感染させてしまうかもしれない」というリスクを念頭に生活しなければならないこと。
そして、もう1つは、治療を継続すれば「すぐ死ぬ病」ではないにも関わらず、感染が死につながるイメージが強く残っていることだ。「汚れた血で死ぬ」と誤解される病だろう。
HIV感染を知った後、家族、配偶者、恋人などとの関係をどう築いていくことができるのか?。
石井氏は、感染を宣告された人や、その周囲にいる人々に、感染の経緯や感染が判明したときのこと、そして、その後の生活について尋ねている。
人と人が触れ合うこと、抱きしめあうこと、愛し合うこと。
これらは、人と人が関係をつくり、それを維持していくうえで重要な要素になる。HIV感染は、これらの行為を妨げる。だからこそ、感染は、それぞれの人生に重くのしかかる。
感染者の孤独は深い。
それは並大抵のことでは拭い去れず、一生抱えていくものかもしれない。
一方で、HIV感染者は、「誰かを愛する」「生きる」ということについて、他の人よりも
真剣に悩み、考えなければならない人々でもある。
感染を宣告された後の、感染者の人生の一端を示すことは、HIV感染に対する無知や、そこから生まれる偏見を解消する取り組みといえるだろう。
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