どんなに優秀なシナリオライターが頭をひねっても、現実の事件に立ち向かえる作品はできない。本作は実話の凄さを教えてくれる傑作です。
特に冒頭のトラック襲撃の場面は「西部警察」のワンシーンみたいで迫力があります。現実にやってのける奴がいるんだから凄いね。男だね。
蛇足ながら組長邸襲撃に使われた銃は、劇中ではM16ライフルでしたが、同じ題材の飯干晃一の小説「条理なき戦い」ではイングラムM11だったと思います。
ちなみに、本作を観る前に、飯干晃一の小説を読んで予備知識をインプットすると組織・人間関係がハッキリとわかりやすくなります。
マンガという表現形式で、ここまで「深遠」な話が描けるというのに驚きました。 岡崎氏は従来から豊富な科学知識に裏付けされた作品を描いてきました。 しかし単なる科学マンガではなく、科学と人間という問題、人間の未来を「哲学」として 作品にしてきました。
この作品はその「頂点」に達したものだと思います。 世界中には数え切れないくらいの「表現形式」があると思いますが、 さまざまなことを描くことのできる「マンガ」で、「哲学」「未来学」「SF」を題材に ここまで素晴しい作品が出来るのだということに感動しています。
人間と機械の関係については、浦沢直樹氏の「プルート」と表裏一体となった作品ではないか、と考えてしまいました。 人間と機械の差異はなんなのか。 岡崎氏も浦沢氏も手塚先生の影響のもとで、違った方向からアプローチをしていると思いました。
英語の「酒は涙か溜息か」の歌を聴いたとき、即座に藤山一郎は「あ、これは森山の久ちゃんだ」といった。ポップスの仲間であった。二世のポップ歌手森山久は森山良子の父である。 藤山一郎は、私が勤務した会社の嘱託であった。このCDは、大変懐かしい。
「平面」を自由自在に操る能力を持ち、その力で我々の世界の「平面」を維持管理している平面管理委員会のヒロイン・セーナと、彼女のパートナーとして活躍する広告代理店のプロデューサー宇田川が織り成すSFアクションストーリー。
委員会では問題児だったセーナは「平面」を悪用してしまったためお役御免となり宇田川の世話になることに。ところがそのセーナのもとに、次から次へと委員会の元同僚や上司が相談を持ちかけたり、「平面」を操作する犯罪を起こしたりするというトラブルが起きる。挙句の果てには元上司を巻き込んだ、委員会そのものと我々の世界をひっくり返すようなクーデター騒ぎにまで……。
岡崎氏の作品はというとたいていかショートストーリーをいくつも絡めたオムニバス形式のものが多いのだが、「大平面の小さな罪」は一貫したストーリーの面が強い内容となっている。また、岡崎氏が得意とする科学的知識を具体的に盛り込んだ話にしにくいため(何しろ実際には平面を自由に操ることなど出来はしないのだ)、逆にメインストーリーが強く正面に出る展開なため、読みやすいのも特徴。
意地っ張りで勝気で、それでいて時に内面の弱さを見せるところがあるヒロイン・セーナのキャラクターに好感が持てる人も多いことだろう。
なぜなら短編集であるはずの本書のラストに、アフター0を、岡崎二郎を読んでいて本当に良かったと思える、素晴らしい瞬間が待っているからだ。
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