「石炭をば早や積み果てつ」。この書出しで始まる「舞姫」は格調ある文章を楽しみつつ読んだ。ただ、有名なストーリーの方は、改めて読むと主人公太田豊太郎の優柔不断さにはややうんざりする。この作品と、次の「うたかたの記」だけが文語文。こちらは、狂王ル-トヴィヒ2世の死の真相を日本人留学生が目撃するという話で、ロマンチックな導入といい、題材といい、なかなか印象的な小説である。 あとは口語文の小説だが、歴史ものが存外面白い。難しい漢字もあるが、作者名を伏せて縄田一男のアンソロジーに入れられていても違和感がない感じである。「阿部一族」など、不条理さを突き放して描いていて、極めて現代的な作品だ。また、「堺事件」は、陣出達郎の「橋を渡って」という短編でも取り上げられている事件であり、題材の選び方もセンスがある。今の歴史小説のスタイルは鴎外で既に完成されていた、といったら言い過ぎか?
原作は遠い昔に一度読んだことがあるだけで
すっかり忘れてしまいましたが、
現代風にアレンジしたり奇をてらったりすることなく、
「文学」を真正面から映像化した誠実な作品だと思いました。
極端な光の白さと色調の乏しい映像から、
この時代(明治)の灯りの乏しさと
兄弟の暮らしの貧しさが伝わってきます。
特に胸をうたれたのは、夜、真っ黒な高瀬川を
滑るように下っていく小さな船の上で、
罪人(成宮寛貴)が同心(杉本哲太)に
静かに真相を語るシーン。
闇の中、月あかりに照らされた罪人の顔はおだやかで、
提灯(行灯?)に浮かぶ同心の顔は訝しげに凝っている。
二人の表情といい語り口といい、
バックに流れる切ない音楽といい、
なんともいえず絶妙で見事です。
台詞は原作のままなのかどうかわかりませんが、
やはり「文学」を意識していると思われ、やや朗読っぽい。
それがまたいいのです。
映像なのに、本を読んでいるような、
不思議な感覚にとらわれました。
作品が描き出すテーマは重く、
現代においても簡単に答えの出ない問いを含んでいますが、
さすがというべきか、まったく押しつけがましくありません。
たった30分という短さですが、
つまらない映画を2時間見るより、よほど見応えがありました。
このシリーズの主眼であるヴィジュアルの美しさは、かなりのものです。
エリスは線が細くて可愛らしいし、豊太郎もアンニュイな感じ。音楽もメロドラマ的で雰囲気出てます。
しかし、時代考証やロケーションの考証にたいへん抜かりがあって、20世紀初頭のドイツの話なのに
ベルリンの通行人の服装が第二次大戦後のアメリカのモードっぽかったり
町並みがドイツというよりスペインとイタリアの折衷っぽかったり
豊太郎が質草にエリスに与える「時計」が腕時計(!!)だったりします。
また、ナレーションが本文の抜粋なのですが、これも現代語訳がところどころ怪しいです。
抜粋されている箇所も、そこなの? というのがたまにあったりして、洗練度は高くありません。
ですので、「これを観て『舞姫』の勉強をしよう」という方にはお薦めできません。
あらかじめストーリーを知っていてイメージを膨らませたい方・きれいな絵でこの話を観たい方向け ではないでしょうか。
ずっとモヤモヤしていた。エレカシは終わったのかと思っていた。
ガストロンジャーでぶっ飛んだかと思えば、ライフでは小林某をプロデューサーに迎え。
デッド〜も、俺の道も、原点回帰という名の後退だと思った。
そしてこの「扉」。 一曲目「歴史」を聴いて、エレカシが戻って来たことを確信した。
全体的に静かなトーンではあるが、その静けさの中には、緊張感ややるせなさが、夜の深さのようにうごめいており、それは何か来るべき朝のための準備をしてるように思われるのだ。
「歌モノ」「ロック」と、別のベクトルで振り幅広くやってきたエレカシが、それをごちゃ混ぜにして、エレカシだけの音楽を作りあげた、と私には思える。
見事な傑作である。
さして評価されていないようだが、「舞姫」の物語世界を美しい映像としっかりしたストーリー構成で映画化した佳作である。郷ひろみが意外にも好演している(郷には他にも、「おとうと」や「瀬戸内少年野球団」等、なかなかの好演がある)。 原作の忠実な映像化、ということにこだわらなければ、当時の日本、およびドイツのエキゾチックな空気感が生々しく伝わってくる映像力と、当時の外国で愛人との関係のため官職を失った青年のたどる運命の描写には迫力がある。ストーリーにも引き込まれる。決して軽々しく作られたアイドル映画ではない。 あくまで原作に対するひとつの解釈(または変奏)、ということを前提にすれば、「舞姫」の世界観を味わうには、文芸映画として良くできた作品だと思う。
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