ダン・タイ・ソンは、ここ十数年でさらに活躍の場を広げ、日本にも多くのファンを持つピアニストである。近年、日本人、アジア人ピアニストに対する注目が、また集まっている気がするが、僕はダン・タイ・ソンこそがアジア人ピアニストの認知度を上げた立役者であると思っている。彼の演奏はCDを聴いてもらうしかないが、この本は、彼の生き方はもちろん、音楽に対する意見が述べられており、音楽が好きな人、ピアノ曲が好きな人には、違ういみで楽しい本だと思う。「あぁ、彼はこの作曲家をこう解釈しているのか。こんな考え方もあるのか」と、違う観点からいつものクラシック音楽を発見できるだろう。 それにしても、ベトナムの戦時下、戦火を逃れながら、紙の鍵盤でピアノを練習したというエピソードには驚いてしまった。今の日本の音楽教育環境は、一体なんなのだろうか…。彼のピアノに対する情熱には、敬服するとともに、一個人として「そんなにも傾倒できるものをもっていて、幸せだろうなあ」という感慨さえも抱かせてくれた本であった。 是非、クラシックに興味の薄い人も、この一流ピアニストについて興味を持ってもらいたいと思う。
やはりすばらしいの一言。正確で繊細で力強さもある。 一つ一つの音が美しいです。この人の「舟歌」には特にそれが出ている気がします。 「キラキラキラ」とゆらゆらと波が光り輝くよう。他のピアニストの方も悪くは無いのですが…。でも軍隊はどうしても受けつけませんでした。粘りすぎの様にな気が私にはしました。
1980年のショパンコンクールで優勝した時、FM放送から彼の演奏が流れてきました。そのとき流れてきたのがバラード第4番でした。その演奏は本当に私の心を震わせました。あまりの素晴らしさに思わず目から涙が出てきました。それから10数年たち一段と大きくなったダンタイソンの演奏がこのCDの中にあります。コンクールで優勝した時のきらめく様な演奏ではなく深みと味わいがプラスされた演奏です。
バラード特に4番は彼の演奏のように感動する演奏家は他にはいません。この演奏は1993年3月ワルシャワのフィルハーモニーホールで行われており、ダンタイソンがまだ30歳台の半ばの円熟した時期です。
ダン・タイ・ソンは、周知の通り、1980年に、ショパンコンクールで、アジア人初の優勝者。ベトナム出身。彼も、例に漏れず、ベトナム戦争を経験している。防空壕の中で、紙に書いた鍵盤の上で、ピアノを練習したという逸話は、有名。
彼の奏でるショパンは、誰も真似できないほど、情熱的で、哀愁深く、優しい。
多少、個性的なところもあるが、初めてのリスナーにも、自信を持って、勧められる演奏。
腕も、確かで、安心して、聴いていられる。彼を知らない人も、きっと、彼を、好むようになるだろう。
なお、コンクールの時は、彼は、珍しく、2番のコンチェルトを弾いたことも、付け加えておく。
特に『ピアノ・ソナタ第3番ロ短調op.58』が素晴らしい。 この曲は第2番から5年後の1844年にジョルジュ・サンドと共同生活をノアンの館で過ごしているときに作られている。この頃のショパンは、夏はノアンで作曲し、冬はパリでレッスン、演奏会、社交界という充実した生活を送っていた時期だ。夏のノアンの館では、ショパンのピアノが響き、サンドが耳を傾け、二人の共通の友、ドラクロアがデッサンする姿があったと言われている。 ベトナム、ハノイ生まれのこのピアニストは、アジア出身者で初めてあのショパン国際ピアノコンクールで第一位優勝した人物である。このショパン国際ピアノコンクールは、マウリツィオ・ポリーニ始め現在の有名ピアニストのほとんどを輩出している最も権威あるコンクールだ!。このコンクールでアジア人として初めて優勝しただけでなく、同時にマズルカ、ポロネーズ、コンチェルトの各賞も受賞という初めての快挙も成し遂げている。 余談だがこれほどのピアニストを年齢的にも最も円熟した演奏を聴かせるであろうこの時期に、車で10分の所にある最新鋭の音響設備を備えたコンサート・ホールで、しかも前から4列目のピアニストの指とペダルをふむ足がしっかり見える位置で第3番を聴いた。 演奏は期待以上に最高で、CDに直筆サインまでもらってしまった。(●^O^●)。・・・ということもあり推薦します。
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