美しくて、せつなくて、こどもだからって甘えていられない・・・でも子供。この映画には子供だからって多めに見てもらえないきびしい現実が表現されています。中国の山村のちいさな出来事が一人の女の子によって少しづつ変化していく様子は見ていて飽きません。子供の心は素朴で繊細で美しくしかも強い!日本とは経済的にもまったく違う世界を描いているのですが、子供のときってこんな感じだった、こんな気持ち味わったことがあるなあと懐かしく笑えたり、不思議と自分の小さなころにかさねあわせて見てしまうのは私だけでしょうか・・・。たぶん覚えているようで忘れてしまっている、素朴で汚されていない心の宝物を呼び起こしてくれるそんな物語でした。
映画とは、スクリーンに映った映像を仮想的に体験させる 装置でもある。優れた作品は、見るものに対して衝撃を与え、 感受性を揺さぶる。全く別の人生を追体験することで、仮想 的に人生経験を積むのである。 本作に描かれる中国は、普段メディアを通してみる映像と は少々違う。田舎の、変哲のない平均的な風景であり、それ ゆえに外国人である我々が触れることの難しい世界。素朴さ の裏にある攻撃性、感情以前に対価を求める老婆の態度、 大人の目で見つめる13歳の代用教員。 一見、美しい山村を舞台にした心温まるヒューマンドラマ。 しかし、よく見れば中国社会の異質性が際立って迫ってくる。 一度でも中国に旅行した人ならわかる、メンタリティの違い が、物語の展開をいい意味で裏切ってくれるが、ハリウッド にも招かれるインテリ監督だからか、欧米的な予定調和が見 えなくもない。 映像から匂いたつ異文化の香り。それもまた、映画の魅力 である。
おもしろかったのは、代用教員であるミンジがまるでやる気のない先生だというところです。ミンジは報奨金ゲットのために生徒の未来や将来も考えずに一途に行動する、そのしたたかさと自己チューのところが現代中国を象徴しているなーと思いました。そして、その表情がまた独特なのです。可愛くない、素直じゃない、目つきが悪い、能力がない、短気である、とまあ、さんざんないわれ方ですが、映画はこのミンジのキャラでなければおもしろくはならなかったはずです。タイトルからして、迷子探しの「お涙頂戴」モノかと思っていたので、この予想外の設定には思わず引き込まれました。そして、とうとう、ミンジのTV出演の場面には、ムググッときたのです。それもこれも、ミンジの要領悪すぎの3日間がミンジのこぼれる涙でカタルシスとなり、その涙に呼応する迷子のホエクーの表情がものすごかったからです。現代日本では絶滅したホエクー的少年は、まだ、中国にはいるのですね。寄付金まで手にして帰村するくだりにはやや戸惑いを覚えましたが、エンディングのチョーク一文字の場面は、非漢字文化圏(ヴェネチア)の人間にとっては神秘的な感動すらあったでしょうね
カップリングCDとなってしまったのは この映画の音楽の曲目が少な過ぎたこと。
そんなわけで 同じメロディのバージョン違いが これでもか!と続くわけですが、それなら「あの子を探して」とカップリングせずに「初恋のきた道」オンリーで最後まで貫いて欲しかった(もちろん バージョン違いで)
それぐらい美しいメロディには心洗われます。
この世の現実に暮らす人間にとって、愛する人と、その命の終わりまで添い遂げる以上に完璧な恋の成就があり得るだろうか。配偶者の死はそれ自体悲劇である。しかしここに我々は、恋の成就という、もうひとつのハッピーエンドを見るのである。 父の死の知らせを聞いた息子が故郷の村へ帰る白黒の映像から、過去の物語のカラー映像、そして再び白黒への回帰は『オズの魔法使い』を思わせる。父母の物語にちりばめられたエピソードは、愛する人をひと目見ること、わずかに言葉を交わすこと、そしてその人の触れたものが、恋する少女にとってどれほどの意味を持つかをしみじみと伝える。 中国語の題名は『我的父親母親』、英語の題名は『The Road Home』である。両者とも日本語の題名と、公開前の紹介のされ方(「読み書きのできない少女が、町から来た先生に料理で愛を表現しようとする映画」)よりも、この映画のもつ味わいをよりよく表現しているように感じられる。ことに、度々現れる道の描写と物語中での道の役割が、「Home」の意味をいくつにも感じさせる。
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