ひょんなことから故郷を捨てて株の世界に飛び込んでいった男の一代記、 「最後の相場師」の物語は、実に痛快であり、どこか一抹の哀しさを残す読後感だった。 まあ、詳細を書くとネタバレになってしまうのでとりあえず措いておいて。
本書は昭和30年代の新聞紙上で大変な賑わいを見せたというが、 それも十分納得のいく仕上がりになっている。 小説の結構、文章の練達、登場人物たちの魅力がこれほど活き活きと 伝わってくる小説も最近の小説では中々お目にかかれないのではないか。
満州事変から支那事変〜太平洋戦争〜終戦〜戦後についての、 取引所などを中心とした描写がまた見事で、当時の取引所に立ち込める空気、 花柳街の空気、旧体制下の軋轢なり野心、浪漫なりがありありと浮かんでくる。
文章表現には少なからず女性を物扱いするなど、 女性読者の反発をかいそうな部分もあるが、それらも一つの時代感覚、 というよりも主人公の型破りな女性観と捕らえるとうなずける。
著者の円熟期の馥郁たる香りが立つ名著である。知らぬは恥!
薩摩治郎八について、ひととおりのことは知れわたっていると思う。本書はその「ひととおり」のことをさらに詳しく検証し、誤りを正し、解明できることは(おそらく)ほとんど解明している。大変な力作だ。
治郎八についてはもちろんのこと、20世紀初頭のパリの日本人について、よく知ることができる。
ただ、私としては自転車競技と治郎八に関する記述が少ないのは残念だった。ツール・ド・フランスを日本に「初めて本格的に紹介」し、日仏交歓自転車競争を企画した治郎八に関する事柄が、私の持っている加藤一著『風に描く』を超えていない。
もっとも、これは治郎八自身が書き残していないせいなのだが。
清水宏監督がしばしば題材として取り上げる「学園」もの。 九州出身の高峰三枝子が教師として東京の学校に赴任してくるところから物語は始まる。
端的に言えば、事なかれ主義の上司・同僚に対して教師としての役割を全うしようとするヒロインの物語だが、高峰三枝子が美しく、凛とした教師像を好演している。
一方、生徒たちだが、1980年代以降の学園ドラマを見ている今の感覚からすれば、なんとすれていなくて純情なのだろうかと思う。問題児といっても、かわいいものだと思う。
演出は、他の清水作品同様テンポがあり、決して派手なテーマではなく古い映画だが、最後まで視聴者を飽きさせることはないと思う。
「てんやわんや」は、獅子文六が戦後間もない頃二年間程、妻の実家がある四国・愛媛の岩松(現宇和島市津島町)で暮らした経験をもとにしている。 主人公・犬丸は東京で暮らしていたが、終戦後の混乱の模様、四国・相生町までの車窓からの眺めなどがユーモラスながらも鋭く描かれている。
そして相生町での生活が始まるが、桃源郷のような穏やかでどこか可笑しい描写がとても好きだ。モデルとなった岩松町で生活していた頃の、文六の感慨が表現されていると思う。 やがて主人公は岩松が好きではあるが、次第に醒めた目で見るようになり、ある出来事をきっかけに東京に舞い戻る決心をする。このあたりの醒め具合、シニカルな描写も獅子文六の一つの特徴だろう。
結末は結構シニカルなのだが、それにもかかわらず、読後の印象は相生町の桃源郷ぶりが印象に残る。特に主人公が峠道のバスから眺め下したときの描写は心地よい。文六自身もシニカルに観つつも、どこか相生町(現実の岩松)に強い愛着があったのだと思う。
相生長者、和尚、越智、鬼塚、花兵など、人物の描写も生き生きとしていて、優れている。平家の隠れ里の神秘的な描写も秀逸。東京と一見平和に見える田舎町を対比させ、さらにその田舎町に押し寄せる時代の変化も巧みに織り込み、戦後の世相や人間を見事に描いている。ユーモラスでシニカルで楽しめる。 今は獅子文六の名もあまり聞かれなくなってしまったが、非常に優れた作家だと思う。
尚、現在はVHSの中古でしか入手できないが、戦後間もない頃に映画化されている(てんやわんや [VHS])。原作の雰囲気を良く伝えており、当時の岩松の風景もふんだんに描かれている。映画としても面白く、資料としても第一級だと思う。
主人公は愛媛の片田舎の貧農の長男。自分の才覚で相場師として成功する(浮き沈みは激しいですが)。 私も愛媛出身なので、昭和初期の愛媛の村社会の風習・風俗も興味深かったです。
主人公は女性関係にだらしなかったり、ゴルフ場で野グ○をしたり・・・。 佐藤和三郎という相場師が主人公のモデルだそうですが、モデルになった人から作者に苦情が来なかったのでしょうか。
面白いけど、星3つにしたのはモチモノ・カコイモノと称して愛人を6人も作って、新年会に愛人全員を招待(?) 女性目線で読むと不快な部分が多々あったからです。(それだけに秘書の対応にはアッパレでした) まあ、この時代だから仕方ないのでしょうね。
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