池田聡プレミアムベスト
懐かしい曲から「ハナノタネ」まで、リラックスしながらゆっくり聴ける曲が揃ってます(13は意外な選曲でしたが、当時から好きな曲だったので嬉しいサプライズでした)。アップテンポな曲もあるのに、勢いに乗りすぎずに、一言一言を丁寧に真綿にくるむように歌う池田さんの声。とても心地よいです。歌の中の世界にすーっと引き込まれていきます。11を、目を閉じて聴いてみてください。高い高い秋の空、沈みかけた夕日、色づいた並木道が見えてきませんか?余談ですが、歌詞カード冒頭の池田さんのコメントも心に染みます。池田さんの歌とともに、時間と空間を超えた旅に出ませんか?
超高層から茅葺きへ ハウステンボスに見る池田武邦の作法
ハウステンボスはバブルの波でつくられ、その後破綻。だけど今日生態系の宝庫として価値が残った。そしてその価値こそもっとも大事だと言い切るのが池田さんだ。経済と環境保全という相反する価値観の中で迷う日本人に、一つの答えを教えてくれる。
滋賀県発注工事のプレゼンで、県の計画を批判し、会社の受注をふいにしてまで琵琶湖の生態系を守ろうとしたエピソードも紹介されている。実社会でこういうことが本当にあるのだろうかという驚きの場面だ。エコという言葉が氾濫し、今の日本は環境がビジネスになっている観があるけど、本当に環境を守ることとは何か、信念を貫くこととは何かを問われたようで、うなってしまいます。ハウステンボスだけでなく、少なくとも環境について関心のある人なら読んでおくべき。池田さんの人生の根底に戦争体験があるという点で、戦後失われた日本人本来の姿を取り戻したいという人にもぜひ読んでほしい。
一人の人物を通して日本というか日本人を学ぼうとするとき、今も現役の人を探すなら池田さんに勝る人はそうはいない。読めば読むほどそうとしか思えなくなる。
GENTLE~アーバン男性ヴォーカリスト~
アーティスト名を含めた曲目リストは以下の通りです。
01. 輝きながら・・・ / 徳永英明
02. 素直 / 槇原敬之
03. はじまりはいつも雨 / ASKA
04. 最後の雨 / 中西保志
05. メロディー / 玉置浩二
06. モノクローム・ヴィーナス / 池田聡
07. WOMAN / 中西圭三
08. Lovin' You / 横山輝一
09. そばにいるよ / 前田亘輝
10. そして僕は途方に暮れる(1992 "naive" version) / 大沢誉志幸
11. You're the Only・・・ / 小野正利
12. 虹の都へ / 高野寛
13. 君は僕の勇気 / 東野純直
14. ほっとけないよ / 楠瀬誠志郎
15. もう一度夜を止めて / 崎谷健次郎
16. 僕がどんなに君を好きか、君は知らない / 郷ひろみ
商品ケース裏側の曲名リストには、その楽曲が何のTV・CMに使われていたかも記載されており、1990年前後にJ-POPチャート物をよく耳にしていた人達には非常に懐かしく感じられる選曲です。
また、選曲がバラードのみに偏らず、「Lovin' You」や「君は僕の勇気」といったアップテンポの曲も収録されています。続けて聞いても飽きがこない作りになっているのが良いですね。
なお、この手のオムニバス・コンピレーションにはありがちなことですが、収録作品の発表年に10年以上の幅があり(「モノクローム・ヴィーナス」1986年、「素直」1997年)、その期間がレコードからCDへの移行期に重なるため、レコードがメインだった時期の作品は音があまりクリアではありません。
故に、一枚通して聴くと「モノクローム・ヴィーナス」だけが妙に古くさく聞こえてしまいます。その点だけは残念でなりません。
軍艦「矢矧」海戦記―建築家・池田武邦の太平洋戦争
本書の主人公池田武邦氏は、超高層ビル群の設計を手がけた著名な建築家だが、戦争中は兵学校卒の士官として軽巡洋艦矢矧に乗り組み、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄海上特攻に従軍した。終戦時、大尉。この階級で今もこれらの海戦の体験談を語れる人はもう本当に少ないはずだ。
兵学校での生活、海軍、海戦での体験がつづられ、戦記ファンならおなじみの話もあるが、池田本人ならではの体験(例えば、卒業後、父の海兵同期の嶋田海相、永野軍令部総長に面会した話など)も多く、歴史の証言的な内容も含んでいて興味深い。
また、戦争だけでなく、池田の戦後の活躍と、その活躍にもかかわらず、今では近代建築を否定し茅葺きの家に住むに至った心境の変化、その心境の変化にあの戦争がどう影響しているか、などがつづられていて、通り一遍の戦記ではない。著者は新聞記者。池田ほか登場させる軍人たちの姿を通して、現代日本人に問いかけ、訴えたいことがあるのは明らかだ。
池田が団長となって行った大和、矢矧などの第2艦隊の洋上慰霊にもページがさかれている。
池田は「本当の慰霊」という言葉を使っていた。終戦から60年以上がたち、戦後の世代がどのように戦没者の慰霊を引き継いでいくか、そのやり方を見つける上でも参考になる。考えさせられる。