トロイメライ
ヴァルファールトという1台のピアノと、そのピアノに関わる人々の数奇な運命。
それら各々のエピソードが、絡まりあって展開しながら、100年の年月と、世界を股にかけるスケールでもって語られてゆく。
物語が最後に辿りつくのは、あのシンプルで優しいメロディの最初の一音。
絵は無骨だし、語り口は訥々としていて饒舌なところなど皆無だが、その分、表現が研ぎ澄まされているので、読んでいてイマジネーションを大いに喚起される。
とても素敵な映画を観た気分になれる作品。
ラスト.ワルツ―Secret story tour
著者・島田虎之助が所属するサッカーチームには、ブラジル製の単車エルドラドNRa を乗り回す小林君というFWがいる。実は彼のバイクが生まれた経緯には20世紀の数奇な人類史が刻まれていた。そしてこのオムニバス漫画「ラストワルツ」の中では、様々な現代史を背負わされた名もなき大勢の人々が、不思議な力によって富士山のふもとへと引き寄せられていく…。
書かれていることはもちろんフィクションなのですが、虚実ない交ぜの20世紀史を通して著者が描くのは、市井の人々のかけがえのない人生です。私たちが学ぶ歴史はともすると、偉大な発明家、策略をめぐらすに長けた政治家、名作を残した文豪、といった功なり名を遂げた偉人に彩られた物語になりがちです。しかし歴史に名を残すことなく逝った大半の人々にも、懸命に歩んだ一生があるのです。彼らと偉人たちとの間に命の優劣はありません。著者はこの作品集でそうした普通の人々の、埋もれてしまいがちな人生をそっと両の手のひらで掬(すく)う試みをしているのです。
ヒロシマの被爆者である老婆がポツリともらす呟き。「どうして わたしだけ 生き残ってしまったのかねえ」。何十万という命が一瞬にして奪われた原子爆弾の悲劇にも生き残った老婆は、生きてあることに感謝するのではなく、自らの命に悔悟と負い目を感じる人生を戦後ずっと歩まされています。彼女のような名もなき人々こそが歴史を彩っているのです。この場面は、わずか3コマで描かれているためにえてして見落としてしまいそうになりますが、いつまでも私の心に残りました。
この遠大で深遠な物語を紡ぎあげた島田虎之助という若き才能に接して、私は身震いせずにはいられません。
長嶋有漫画化計画
書店で目についた一冊。原作者の作品が好きで、とくに「ぼくは落ち着きがない」のファンである身としては、
どのように漫画化されているのか、期待半分、不安半分といったところでした
結果として読んで良かったです。帯文にもありましたが漫画化や映画化には作品への「愛」が必要なのでしょう
みなさん作品をなぞるだけでなく、とても個性がありました(個人的には「十時間」が好きです)
長嶋さんによる「原作紹介」もエッセイを読むようで良かったです
他の好きな作家の方も同様の企画があるといいと思いました
東京命日
おそるべきデビュー作『ラスト・ワルツ』から二年余り。待たせてく
れたよ、島田虎之介。でも待ったかいがあった!
複数の登場人物の人生が交錯しながら、ひとつの長編物語が形作られ
られていくのは『ラスト…』と同じ手法なんだが、その手際はより巧妙
で、さらに鮮やかになっている。
CF会社の新人ディレクター、ピアノ調律師、人気ストリッパー、広
告代理店のカリスマ・クリエイターといった多彩で魅力的な登場人物た
ちの人生が、複雑かつ大胆な構成で描かれ、ラストに至って「あっ、そ
うか!」と膝を打ちたくなるような結びつきを見せる。
こんなマンガ描くのは島田虎之介しかいないんじゃないの?
島田を他人に説明する時「『マグノリア』のポール・トーマス・アン
ダーソンみたいな漫画家」と言えばわかりやすい、と思うし、事実そう
説明してるんだが、それだけじゃ足りない、それ以上の可能性を秘めた
マンガ家だとも思う。
この時期に本年度ベストワンを宣言するのは早急すぎるので、『東京
命日』はベストワン選定に必ずひっかかる作品になるだろう、と言って
おこう。
ダニー・ボーイ
デビュー作から、島田虎之介は登場人物の持つ『隠された物語』を重視しているようだ。
ラストワルツでは丁寧に背景を語っていた(これはとんでもない想像力だった)が、新しい作品になるごとに、次第に美しい『行間』ができてきたように思う。
2作目、東京命日におけるあとがきで、『東京物語の原節子の夫は、いないことによってかえって家族に強く影響を与える』という言葉が書かれている。描かれない背景や人物が、登場人物に強く影響を与えている。
本作の島田虎之介はそのような『行間』を、これまで以上に自然に書いている。 1コマ1コマの中に、人物の行動や背景に対して、読者の想像を巡らせる『間』がある。もはや漫画の域を越えているように思う。
そして最後、主人公が歌うシーンは驚くほどせつなく、驚くほど明るい。ひとつの感情に全く収斂されずに、逆に解放されてしまった。
見事です。傑作。