木下忠司の世界
映画音楽に大きく貢献しながら、いがいに他の映画音楽作曲家にくらべてアルバムが少ないですが、テレビの「水戸黄門」の音楽は多くの人が耳にしているはず。「仮面ライダー」や「Gメン75」などでおなじみの作曲家菊池俊輔の師匠(マイナー調が多い作風がどこか似ている)、映画監督木下恵介の実弟でもあります。「トラック野郎」や「山口組三代目」なんて映画もやっています。(以下、CDには記載されてませんが)収録されている「破れ太鼓」は映画用テイクでなく、レコード用にアレンジされたもので聞きやすくなっています。ボーナストラックの「この子を残して」は、映画では途中でカットされてましたがフルバージョン(これも映画とは別テイク)が収録されています。「喜びも悲しみも幾歳月」はリメイクではない方で、しかも、長尺バージョンです(こちらは映画用テイクです)。
文士の戦争、日本とアジア (新・日本文壇史 第6巻)
葦平、泰次郎、泰淳、知二、順、宏、鱒二、道夫……、文士が、続々とアジアの戦場に出る。彼らは満州から中国、フィリピン、シンガポール、ビルマ、インド……、大東亜共栄圏のために積極的にしろ消極的にしろ陸海空で戦う。
そして著者は読者を道ずれに、にわか戦士となった文士のその足跡を、執拗に追う。追いながら、その抽象的な戦争体験ではなく具体的な戦場体験を疑似追体験しながら生々しく執拗にあぶりだす。戦争体験と戦場体験は天地ほども違う。
戦場は普通の市民を狂気に駆りたて、精神を錯乱させて地獄の亡者に変身させる。この世の修羅に全身を晒した彼らにとって、もはや理非曲直を冷静に判断することはできない。頭でっかちの歴史観は蒸発し、血と殺戮と動物的本能だけが彼の知情意を支配するのだ。
兵士相手の慰安婦たちの手摺れた肉体にはない村落の中国人女性の肉体を犯すことでおのれの肉体奥深く仕舞いこまれていた官能の火が消せなくなった文士がいる。中国兵を殺さざるを得なかった文士がいる。そして、それは、僕。それは、君。
中国女を強姦し、中国兵の捕虜を斬殺し、強盗、略奪、放火、傷害その他ありとあらゆる犯罪を意識的かつ無意識的に敢行する「皇軍」兵士と、その同伴者の立場に立たざるを得なかった文士たち。この陥穽を逃れるすべは当時もなかったし、これからもないだろう。
ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す 宮柊二
恐ろしい句だ。悲愴で真率の句だ。そして彼らは、この惨憺たる最下層の真実の場から再起して、彼らの戦後文学を築き上げていったのである。
私たちは、「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもよい。早く済さえすればよい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」、という井伏鱒二の言葉をもう一度呑みこむために、もう一度愚かな戦争を仕掛けて、もう一度さらに手痛い敗北を喫する必要があるのかもしれない。
夏の花 (平和文庫)
「夏の花」のほかに、いくつかの短編もマンガ化されて収録。
淡く優しい画調で、原民喜の作品の雰囲気は伝わってくるし、
どんな内容なのか知りたいだけなら、十分役割を果たしていると思う。
悲惨さよりも、無力感や悲しみが強く伝わるようなマンガに仕上がっている。
原民喜「これを書き残さなければ」と決意した光景の描写が、
いささか物足りないのだが、
劇画調のインパクトのあるマンガにされても原作から離れてしまいそうなので、
これはこれでいいのかな、と思う。
また
戦時下の人々の暮らしは、文章よりもマンガや映像のほうが伝わるのかな、
という気がした。
小説集 夏の花 (岩波文庫)
文才というものは、一朝一夕で身につくものではないが、勤勉な者ならあるいは、文才と呼ぶ力の、幾らかは身につくのかも知れない。それでもなお、天才と呼ばれる者は厳然としているわけで、そのセンスには、個人の強烈な体験や、先天的なものが見え隠れしている。
原爆の文学と呼ばれ続けたこの作品は、他の作家では見ることのできない、異常な緊張を伴う文章で書かれている。表現力が人に見せる世界とはいかなるものか。あなたに備わっている常識が、一行一行破壊されていく感覚は、日常では得られないもの。わずかに残る人の理性が、それを更に強烈なものに変える。壊れかかった精神の行く先は、あなたの目と感性で追ってください。
夏の花 (集英社文庫)
「夏の花」のほかに、いくつかの短編もマンガ化されて収録。
淡く優しい画調で、原民喜の作品の雰囲気は伝わってくるし、
どんな内容なのか知りたいだけなら、十分役割を果たしていると思う。
悲惨さよりも、無力感や悲しみが強く伝わるようなマンガに仕上がっている。
原民喜「これを書き残さなければ」と決意した光景の描写が、
いささか物足りないのだが、
劇画調のインパクトのあるマンガにされても原作から離れてしまいそうなので、
これはこれでいいのかな、と思う。
また
戦時下の人々の暮らしは、文章よりもマンガや映像のほうが伝わるのかな、
という気がした。