バッハ:平均律グラヴィーア曲集
クラヴィコードによる演奏である。カークパトリックには同曲のモダンチェンバロによる録音もあるそうだが、音量は小さくとも微妙な強弱を表現できるクラヴィコードはバッハ自身もチェンバロより好んだ楽器であったことは承知の事実。カークパトリックの演奏は躍動感に満ちていてバッハの音楽はこんなにも楽しいものかと再認識させられる。良く考えられた知的な演奏だが、堅苦しいところがまったくない。お薦めの2枚である。
J.S.バッハ : 平均律クラヴィーア曲集 第1巻
ラルフ・カークパトリックは、現代の古楽器演奏の土台を築いた大先達である。
ハインツ・ティーセンやアーノルド・ドルメッチらの門をたたき、ギュンター・ラミンの薫陶も受けた彼の演奏は、確かに、今日の演奏からすれば、いささかモダン楽器寄りかもしれない。
しかし、自分の師だったワンダ・ランドフスカに反旗を翻してまで、J.S.バッハたちの生きた時代の音楽を再現しようとした心意気は、今日でも評価されてしかるべきだろう。
カークパトリックは、モダン・チェンバロを使ってJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集を録音したが、それに飽き足らず、クラヴィコードでも平均律クラヴィーア曲集を録音した。
この録音は、そのクラヴィコードによる第1巻の演奏である。
バロック時代のオルガニストたちは、自分の表現力を伸ばすために、クラヴィコードを練習用に用いていた。こうした背景から、カークパトリックは、J.S.バッハもクラヴィコードでの演奏に長じていたはずだとし、クラヴィコードでの演奏も正当化されうると踏んだのであった。
クラヴィコードは、音色の小さい繊細な楽器で、その発音原理はピアノを単純化したような構造になっている。ピアノではハンマーで弦を叩いて音を出すが、クラヴィコードはタンジェントといよばれる金属片を弦に当てることで音を出すことになる。また、クラヴィコードは鍵盤を押さえたままにすると、金属片も弦に当たったままの状態になり、鍵盤を押さえる力の加減によって、音程や音の大きさも変わってくるので、均一に音を出して奏でるだけでも、相当な技術を要する楽器である。
今日でも、クラヴィコードを使ってJ.S.バッハの作品に挑戦するのは、相当困難な課題である。
カークパトリックは、こうした困難な課題を見事に成し遂げ、音の粒を厳密に揃えた演奏で、この音楽を見事に織り上げている。さすがに、各声部の綿密な絡み合いを生き生きと描き出すところまで入っていないものの、J.S.バッハの生きていた時代の音を再現しようとする情熱は素晴らしい。
音量を大きくして聴くと、カークパトリックが願ったクラヴィコードの雰囲気の再現から遠くなるが、ところどころにベープング(鍵盤を抑える力を加減して、音にヴィブラートをかける演奏法)を施しており、カークパトリックなりの心遣いが聞き取れる。
今日では、もっと洗練された演奏も望めるだろうが、カークパトリックの価値は決して減じないと思う。
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1~3番、他
指揮のバウムガルトナーは、ヴァイオリニストのシュナイダーハンの高弟で
バッハの解釈に定評があった。ブランデンブルクの名演奏は意外に少ない。
その中でひときわ優れたものが、このルツェルン音楽祭合奏団のCD。
もともとはドイツ・アルヒーフのLPで出ていたもの。
往年の名トランペット奏者のルドルフ・シェルバウムが聴ける。戦前のブランデンブルク
協奏曲では金管楽器の音量が大きくなり過ぎるのが難点であった。バッハ・トランペットの
難しいパッセージを吹きこなせたのが、唯一シェルバウムだった。モーリス・アンドレ等の奏者が
出現するまでの間、シェルバウムはヨーロッパ各国で引っ張りだこの多忙な活躍だったと言われた。
そうした当時の一流の奏者たちの競演が聴け、バランスの良いのがこの演奏だった。
J.S.バッハゴールトベルク変奏曲 全音ピアノライブラリー
何度も何度も繰り返しあらゆるメディアで使われている曲であります。
かなり弾きやすい編集になってます。序章のアリアは原版と再編集版の2つが並べて記されており、自分の好みの方を見つめて手を動かすだけで弾けるでしょう。