宣告 (上巻) (新潮文庫)
死を待つ恐怖とは人間を狂わせてしまう程、苦しい事ということを知りました。死刑と言葉にしてしまうのは簡単ですが、死刑囚も私と同じ人間で苦しみがわかる人間だということを再確認しました。
不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)
何だか知らないけど、自分にとって「政治的な書籍」を最近読み出す傾向がこの本でわかりました。
・流された後の怒りが遅い日本人
・事件は、不幸増幅装置が心に来たから
・外国から見た、日本の市民意識
・友人に気遣う若者と、経験を誇りに出来ない老人の背景
・自殺と不幸増幅装置の関係
・中高生に多い自己否定
不安にかられる日本人や自分への分析かなっと思った。
たとえ不幸なシステムの日本に居ても、だいじょうぶかな?と思わされました。
コンビニで働く高齢者などが少しずつ増えていますが、
その女性は急いでいないお客に「きょうもお疲れさまです」「きょうは冷えますね」
「これ新商品です、わたしも食べたのですがわりといけました」老人の声かけが、少年や若者に少し元気を与え、意外にレジーは彼女の方へ行くのだそうです。
この部分が結構好きなページです。自分らしく生き抜く知恵や逆転発想の考えに共感した本です。
フランクの本を始めとして名著の紹介もよく、誰も気づかないうちに世の中が悪く進む感じは常日頃思っていたので、どんな時代でも生き残る気持ちを伝える筆者の発想はよかったです。
そしてこの国の方向を自分なりに落ち着いてみていく感性を貰ったような気がしました。
見ていくだけではいけないのですが・・・。
宣告 (中巻) (新潮文庫)
楠本他家雄が起こした事件背景を日記で語っている。私はかなりはまりました。事実を読んでると思うとすごく怖かった。彼の心情がわからないでもないというかなんというか。
人間誰しもどん底の気持ちの時はあるけど、やはり人を殺すことを考える人は普通の人とは違うのかなぁと思いました。
きのこ文学名作選
きのこ文学のファンの方はもちろん、広く文学を愛する方にお薦めしたい一冊。
よくぞここまで広くきのこ文学を渉猟し、名作を掬いあげたものである。ジャンルは、小説から詩歌、狂言にまで及び、今昔物語の世界から現代文学までをカバーしている。
中でも私には、萩原朔太郎、加賀乙彦、村田喜代子、八木重吉、北杜夫などの作品が印象深かった。
脳細胞の中に菌糸が繁殖していく感覚を与えてくれる作品群。「きのこ」の中に、人間の内面世界のほの暗く湿潤した部分と通底するものがあることを実感させられる。
更に愕くのは、本書全体がこれでもかといわんばかりに、凝りに凝ったデザインで満たされていることだ。一作ごとに紙質、色が違い、フォントが違い、レイアウトが違う。変幻自在のデザインを楽しむことが、掲載作品それ自身の味わいを倍加させてくれる。
飯沢耕太郎という存在がなければ、こうした本の刊行も現実のものとはならなかったに違いない。ぜひこの味わいを実感してほしい。
雲の都 第四部 幸福の森
これはなんでも「自伝的小説」らしいが、自伝にしては小説的過ぎて?全部が嘘かとも疑われるし、小説にしては文章が緩すぎてまるで素人のようで戸惑う。自伝と小説の2つの要素を恣意的にアマルガムにしているために作品に芯が無く、一個の読み物としての主体性が希薄であると感じられる。
同じ「自伝的小説」でもトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」ではこういう不安や不安定はさらさら感じないから、おそらくその原因は、著者の枠組みの設定と文体・文章の吟味が甘いのだろう。後者については渡辺淳一や塩野七生と共通するものがあるが、この2人はあれほど酷い文章を書いても構造自体はきっちりしている。
そのことは、著者の文章と著者が本書で引用している死刑囚の迫真の文を比べてみるとよく分かる。著者は自分の人世に決定的な影響を受けたこの出会いから多くのものを学んだと告白しているが、文体の深さと重さと鋭さについてはまるで無関心だったらしい。
しかし先祖の韓国や韓国人とのつながりなどや、妻とは別の女性との間に出来た息子の自殺やゲーテの故地への訪問記など、文想が乗って来ると精気がみなぎる。出来不出来の差が激しいバレンボイムの演奏のようだ。
われもまた2012年夏の海の点景となり終せぬ 蝶人