鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~ [DVD]
1943(昭和18)年、水木しげるは21歳の時に召集され、ニューギニアのラバウルへと送られた。そして戦後、その過酷な戦争体験をもとに「総員」が「玉砕」へと向かわざるを得なかった当時の理不尽な状況を描き始める。
本作は、2007(平成19)年8月12日にNHK総合で放送されたNHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜」をDVD化したものであり、水木しげるの『総員玉砕せよ!』をドラマ化した作品である。
とりわけ、香川照之が演じる水木しげるが『総員玉砕せよ!』を取り憑かれたように執筆している際、その漫画の原稿を夜中にのぞき見たねずみ男が泣きじゃくっている姿は印象深い。そして目玉のおやじの「愚かしい国だった、愚かしい時代だったんじゃよ」という言葉が心に響く。
水木自身は左腕を失いながらも、九死に一生を得て駆逐艦雪風で日本本土へ復員できたが、仲間とともに死ねなかったという思いも強かったに違いない。それを『総員玉砕せよ!』を描くことによって果たしたかったのであろう。是非、本作とともに原作も一緒に見ていただきたいと思う。
私は魔境に生きた―終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年 (光人社NF文庫)
サブタイトルの通り太平洋戦争の終戦も知らず、ニューギニア原生林で10年間のサバイバルを経験した筆者が綴る驚愕のノンフィクション。
戦争中、日本兵の間では「マレー天国ビルマは地獄、生きて還れぬニューギニア」などと言われた捨てられた最前線とも表現できる二当地だが、冒頭には30数名いた戦友も10年間を生き抜いたのは筆者含め4名。確かニューギニアにおける日本兵の生還率は1割チョイだったはずだから、まさに本書描く凄惨な戦線が全土で繰り広げられたのだろう…。
筆者あとがきによれば、昭和30年に帰還し本書のもととなる手記を書きあげたのが翌31年。ところが底本の出版は昭和61年。「様々な事情により30年かかった」と述べるが、そのさまざまな事情というのに非常な興味をそそられる。
ニューギニアの豪州からの独立が昭和59年だとかそのあたりなので、彼の国とのによるものなのか。それとも果たして戦後民主主義的な言論空間の中での困難さであったのか。
地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相 (新潮新書)
太平洋戦史とは別に、兵士や士官の戦争体験記で印象深かった書は以下の通りである。
黒岩正幸陸軍上等兵「インパール歩兵戦記ー歩けない兵は死すべき」、 斉藤一好海軍大尉「一海軍士官の太平洋戦争ー等身大で語る戦争の真実」、 大曲覚海軍中尉「英雄なき島ー硫黄島生き残り元海軍中尉の証言」、 秋草鶴次一等水兵「十七歳の硫黄島」、 そして「太平洋戦争日本の敗因 責任なき戦場インパール」、 今村均大将「今村均回顧録」「続今村均回顧録」がある。それぞれ戦場も状況も軍隊内での立場も違うが、各氏が直面した非常に辛い地獄絵を自身が見た全てを伝えてくれている。
一方で本書のニューギニア戦線は、悲惨な「見捨てられた戦線」を描いているが、多くの方々の手記や日記の引用を主としている。小尾靖夫氏、牛尾節夫氏、五味川純平氏、大内証身氏、小岩井光夫氏、柳沢玄一郎氏、飯島誠氏、渡辺哲夫氏、福家隆氏、大塚楠雄氏、石塚卓三氏、室崎尚憲氏、菅野茂氏、奥崎謙三氏、三橋正代氏、浅野中尉、蓬生孝氏、大辻越堂氏、深萱正八郎氏、永田忠治氏、泉圭一氏、その他の多くの方々の日記、手記、著作等からの抜粋を中心にニューギニア戦線の実相を描いたものだ。それぞれの悲惨な状況は強く胸を打たれる。しかし一方で全体の流れと作品としては断片的な或いは客観的な描写になってしまった感が強い。関連する部分をどなたかの手記で紹介しているが、寧ろ読者としてはどなたかでもまずはお一人ずつ戦線の最初から最後まで何がどうなったのか体験談として詳細をお聞きしたかった。