東京シネマ酒場 あの名作と出逢える店を酔い歩く
おしゃれで個性的だった恵比寿ガーデンシネマの元支配人による居酒屋めぐりエッセイ。映画と酒場をテーマに、いまはなき夕刊紙「内外タイムス」での連載をまとめた。居酒屋一軒の予算は3000円前後、公共交通機関を使い、下車駅からお店までの歩数を記録することというのが連載の条件だったそうで、お店は値段、雰囲気、ともに中年以上のおじさんたちが行っても安心してくつろげそうな店が並ぶ。その紹介も、まるで練達の落語家のような語り口、テンポがあって楽しい。うんちくらしきところもいやみがない。「ここ美味いんだ。古いんだ。好きなんだ」、小津の映画のセリフのようなフレーズの数々。「酔客同士の話というものは他愛がないからいいのであって、酔いもさめるような話は、これを避けることになっている。…万年筆のライトブルーのインキは国産品のパイロットに限る。こういう話で良いのである」。ま、せいぜいむずかしくでも毎日新聞はどう生き残るか、くらいとかね。酒場時代の山口瞳のようです。紹介のまくらや、話のきっかけとして語られる映画業界の裏話、有名無名問わず、映画に関わる愉快な人たちのエピソードもこの人ならではの内容。宣伝部や制作部といったマスコミ向けの派手な世界だけでなく、街々の映画館へのセールスマンだったころの、映画屋さんたちの生活ぶりが興味深い。月に10日ほどある地方セールス、「旅の前には蕎麦を控え(長野県内全域で供される)、焼き肉を控え(松本市内で集中的に供される…、カラオケを控え(群馬市内で20曲は唄)…」、夜中にベッドでこのくだり読んでいて声を出して笑ってしまった。どれを食べてもおいしい店というのは実際あるが、この本、どこを読んでも面白い。
塀の中の中学校 [DVD]
今は亡き「大滝秀治」さんの演技に感服
教師役のジョーに向かっての
手錠の姿での敬礼する姿・演技に「役者」の真髄を
見たような気がしました。ただただ涙、涙。
素晴らしい役者たちが各々素晴らしい演技をし、
大変素晴らしいドラマだと思います。
TBSよ、ワイドショーとかバラエティーをダラダラと
公共電波を垂れ流し状態にしてないで、
たまにはこういうドラマお願いだから創ってください。
昔は「私は貝になりたい」から始まった
「ドラマのTBS」と言われた時代を蘇えらせてください!
社長室はいりません やずやの少数盛栄経営
私はやずやとつきあい始めて17年。
最初の10年は出入りの広告代理店。
この10年は同じ早朝勉強会仲間。
今は仕事のつき合いはないが、
昔、求人広告や会社案内を作成させてもらった。
当時の年商は10億〜30億。
創業から20年は年商数千万円程度だったが、
夫婦40代の時から急成長した。遅咲き。
地方の創業企業としては大成功だ。
ところが1999年、創業者の夫が死んだ。
誰もがヤバイと思った。
創業者が死ぬと大半の中小は終わる。
が、妻と社員と子供達が奇跡の成長を遂げた。
10年でザッと10倍の300〜400億。
いったい、何が起きたのか。
酢が当たったとか通販広告マーケティングがうまいとか、
経営計画書を書いたからとか言われるが、
それも全部該当するが、
この本で新たな理由らしきことを知った。
それは、現会長は、生まれて数週間で母を亡くし、
父も小6で亡くしている。
再婚した育ての母・・とは、これは私の推測だが、
たぶんうまく行かず・・(これは間違いでした)
結果、祖父母に溺愛して育てられた。
つまり、実の両親とは、非常に縁が薄い。
これが強烈なトラウマとなり、
逆に社員やお客、取引先への愛や想いが強い。
矢頭美世子は、人を育てるのが使命天命生きがいという。
それは、昔の自分を救いたいのだ。
トラウマを抱えた、しかし、
前向きに生きる女性におすすめする。
創業者夫婦が初めて語る「やずや」の秘密著者
うちのホンカン(1) [VHS]
喧嘩をして、口を聞かなくなった八千草薫さんと
大滝秀治さんの夫婦が、どうしても伝えなければならないことがあり、
ホワイトボードに書きあって伝えるシーンが馬鹿におかしい。
コント55号のコントのようである。
瀬戸内少年野球団 [VHS]
子供が主役なわけですが、この子供達がみんな演技上手で子役の下手さによって引っかかるところがどこにもありません。
誰もがもつ感想でしょうが言わずにはいられません。
夏目雅子の美しい事、魅力的な事。こういう人を大スターというんでしょうね。
そして郷ひろみが海草中のユニフォームで投球する姿が素晴らしくサマになっていて驚きました。
子どもの野球映画と思ったら大きな間違い。
戦争、戦後、アメリカ、男、女、兄弟、親子、別れ、死、あらゆる角度で一つの島の戦後日本を描いている傑作。
何故か三部作でのみDVD化されているようですが、本作だけで是非ともリリースして欲しいもんです。