大炊介始末 (新潮文庫)
古いものは戦後まもない昭和22年から、昭和33年ごろまでに書かれた「山周武家物」を中心とした短篇集です。平安朝もの一篇「牛」が一風かわった趣向で、彩りをそえています。
さて、山本周五郎作品はどうもどことなく鼻について、というかたは本書の「ひやめし物語」「よじょう」だけでもおすすめします。基調が乾いた明るさだからです。情緒のほうにあまりいかない。
とくに「よじょう」は、そちらのほうにいちどは行くのかな? と思わせておいて、行かない。確かにこれは山本周五郎の転換というか芸域の拡大であるといえると思います。
「ひやめし物語」は、登場人物のおおらかな人柄が読み手の気持ちをきっとほぐしてくれるでしょう。昭和22年4月に発表されたこの作品は、敗戦からまさに立ち直ろうとする当時の読書人たちの感受性に、ある種の慈しみと滋養として働きかけたはずだと、そんなことを思ったりもします。
まずは、「つき合う人」を変えなさい!
モチベーションはどこにある?
この疑問は自己啓発本を読み漁る方にとっての最大の疑問だと思います。
これが分からないまま、ずっと自己投資だけ続けているのが現状だと思いますが、
この本の内容は、この疑問に他の啓発本とは違う角度から答えてくれています。
本の中で、著者が売り方が分からなくてメンターに相談した時、
「この商品を今から売って来い」と言われ、駅前で100人以上の人に声をかけてやっと売れた。
という苦労話が出てきますが、メンターがいない人の場合、ここまでの経験は出来ない人がほとんどでは無いのでしょうか?
実際に行動するという行為が、次の行動や自己改造につながります。
その事を身に沁みて分かっているのが成功者なのです。
自分と同じ感覚で生活している人には当然無い感覚です。
まずは、目標をゆるくして、そして一歩だけでも動く事。
そこから成功は始まると解いています。
それでもボクはやってない スタンダード・エディション [DVD]
女子中学生に痴漢行為を働いたとして、有らぬ疑いをかけられるフリーターの主人公。
日常多くの人が利用するであろう”満員電車”の中で起こってしまった事を発端として、私たちの生活からも決して”他人事”とは言い切れない、恐ろしい場面が展開されていきます。
1.被疑者の罪状否認者の無罪率が3%。
2.示談で済むなら、やっていようがやっていまいが、認めることが被疑者にとって非常に楽に働くこと
3.裁判官が、”無罪”判決を下すということは、検察官の顔に泥を塗るということ。
4.裁判官、検察官ともに”被疑者を有罪に導くこと”が最も彼らにとって有益に働くということ。(裁判官の評価は、事件の処理件数で決まる)
私達が、生きていて何処かに所属し働いていると、金銭的利益に直結する”効率性”という最優先事項に気付くと思います。それは公的機関に所属する”彼ら”も例外ではありません。
手っ取り早く”被疑者をクロにする”ことが彼らの利益になるようにできています。
それは、実際の圧倒的多数の”クロ”によって凍結してしまったシステムでもあり、圧倒的多数の”利益”を目標とした”一般企業”と、何ら変わることはありません。
”多忙さと、効率性”で渦巻く忙殺された巨大なシステムに、一個人の不運なレアケースが放り込まれ、無罪に結びつくあらゆる状況証拠を弁護士や同環境で苦しんでいる人とともに準備し、検察側の”逃げ”の対応にどこまで食い入っていけるかが、本作の主題でもある気がしました。
映画としては、登場人物一人一人に感情移入するようにはつくられていません。
世間に”こういう事実があり、こういう人たちがいて、こういう対抗策をとり、こういう結果になる”ということを、至極客観的に、焼き出して見せたような、そんな感じです。(それが実に無駄がなく見事で、逆に恐い。)
故に、あまり”感動”することはありませんでしたが、”自分の身を守る”という意味で非常に勉強になりました。
私個人、”満員電車”で通勤する方が”安くて早い”のですが、バス通勤を選択することにしました。始発で隅っこに座れるし、何より”疑い”をかけられる可能性は無いですからね。